プロジェクトアブロードとの出会い
大学一年生の春休みに、タンザニアのチャイルドケアプログラムに3週間参加しました。
このProjects Abroadを選んだ理由は、調べたほかの団体よりもサポートが手厚く、親に説得できるような細かい資料や情報が掲載されていたためです。
特にProjects Abroadのボランティアに参加した友達がいるというわけではありませんでしたが、日本人の渡航準備アドバイザーの方からの豊富な情報のおかげで、渡航前、渡航期間ともに安心して過ごすことができました。
アフリカ行きへの迷いはなかった
中学1年生の時に読んだある本をきっかけに、ずっと発展途上国の子どもの支援をしたいという想いがありました。
また、実際に自分の目で今のアフリカの現状を見たいという想いもあり、タンザニアへ行くことを決めました。
私がアフリカの国の中からタンザニアを選んだ理由は、英語が公用語に含まれているということと、他のアフリカの国々に比べて比較的治安が良いと聞いたからです。
初めて一人で行く海外でアフリカを選んだことに不安はありましたが、ずっと自分のしたかったことを悔いなく実行したいという想いが勝り、一人で行くことに決めました。
また、私は将来したいことがぼんやりとしていて明確に決まっていなかったため、何かヒントを見つけたいという想いもありました。
タンザニアに到着して
渡航前は、中学の頃からの憧れをようやく実現できるという嬉しさでワクワクしかありませんでしたが、いざアフリカについてみると、空港からホームステイ先までの1時間の道のりでは、現地の人々から自分に向ける視線をかなり多く感じ、正直怖くてたまりませんでした。
しかし、一度勇気を出して町に出てみると、みんな優しく声をかけてくれ、怖いと思った理由を忘れてしまうほどフレンドリーで、ノリの良い人々ばかりでした。
ただ珍しいから注目が集まっていたということに気づいてからは、見られるのも慣れ、恐怖も一切なくなり、むしろ現地の人々が大好きになりました。
マサイスクールでの活動
ステイ先から1時間ほど離れたマサイスクールに毎日通いました。
毎日朝7時45分に家を出て、バス(ダラダラ)に45分乗り、それからはジープで舗装されていない道路を10分ほど行くという毎日でした。
一日の流れは、子どもたちがある程度集まってきたら歌を歌い始め、そのあとクラスに分かれてそれぞれの勉強をし、みんなでトイレに行き、ご飯を食べた後、自由に遊び、13時に解散という形でした。
私は子どもたちが来る前にクラスルーム清掃をし、子どもたちにcolor, ABC, body parts, shapesなど基本の英語を教えたり、手洗いを手伝ったり、自由時間に子どもたちと遊んだりしました。
生徒たちは「Teacher! Teacher!」と言って、自分でかいた絵や文字を見せてきたり、抱きついてきたりして本当にかわいかったです。
マサイスクールの子どもたちは、ほとんどがマサイ族だったので、マサイ語をしゃべっていました。
だから、タンザニアの公用語であるスワヒリ語と英語、二つの言語をこのマサイスクールにいる短い時間で学んでいる状況でした。
そのため、ほとんど英語は伝わらず、これはやってはいけないということを伝えるだけでも大変でした。
また、生徒のほとんどが遠くから徒歩で通っているため、雨が降ってしまった日は土のぬかるみのせいで学校に来ることができません。
その影響で、生徒が四分の一くらいしか来ない日も多くありました。
活動が終わった後は、ほとんど毎日町に出て、近くにあった孤児院にいる子どもたちと遊んだり、地図を頼りに買い物に行ったりしました。
マサイスクールの子どもたちや、ホームステイ先の近くにあった孤児院の子どもたちは、いつも元気いっぱいでした。
十分な食料がなく常におなかがすいている状態であったり、特に孤児院の子たちに関しては、たくさんの辛い思いをしてきたり、状況は決してよくありませんでした。
それにも関わらず、目の前にある一つひとつの小さな幸せを自分たちで大きな幸せに変える力を持っていて、私が彼らに与えるというより、彼らから教えてもらうことばかりでした。
仰天のタンザニア生活
アルーシャという、タンザニアでは二番目に大きいといわれる都市にホームステイしました。
食事は、主食がポテト丸ごと、マッシュポテト、ご飯、チャパティのどれか、おかずはサラダとトマトベースのスープのようなもの、デザートにはスイカが多かったです。
どれも、私の口に合うものばかりでした。
部屋にはシャワーがついていました。
しかし水圧がとても弱く、慣れるまで時間がかかりました。
お湯は基本出ましたが、日照率が低い時は冷たい水しか出ない日も4、5日ありました(水ですら出ない日もありました)。
停電はしょっちゅうで、ろうそくをたてて夕食を食べたことも何回かありました。
昼間は日差しが痛いほど強く、気温は30度近くありましたが、夜は長そでのパーカーをはおり、毛布を掛けても寒いと感じる日がほとんどでした。
雨が降った次の日はとにかく虫が多く、虫が苦手だったので最初は苦労しましたが、徐々に慣れることができ、虫の苦手克服に近づくことがました。
また、バス(ダラダラ)にはニワトリやヤギを連れた現地の人が乗ってきたりもしました。
必ず今後に活かす、そう誓った
渡航を終えて自分がこれからやるべきこと、やりたいことが見えてきました。
自分のやりたいことを実現するには、まず英語のスピーキング力を伸ばす必要があると強く感じました。
いくら考えを持っていても、それを自分の言葉で伝えることができなくては意味がありません。
今回、それが一番悔しかったことです。
これからは、自分から英語を話す機会をつくっていきたいと思いました。
この体験で、私はたくさんのものに対する価値観や考え方が変わりました。
これは、想像をはるかに超えた文化の違いを目の当たりにしたり、当たり前の基準が全く異なっている現地の生活を実際に体験したりしたからこそ得られたものです。
ここで得たものを自分のこれからの人生に活かし、発信していきたいと思います。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
この体験談は孤児院での活動に言及していますが、現在プロジェクトアブロードは地域型のチャイルドケアに焦点をあてた活動に取り組んでいます。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。