芸術と社会を繋ぎたい
私の将来の夢は、⾳楽教育に携わり、芸術と社会を繋ぐことです。
そのため、教育や国際協⼒に興味があり、トビタテ留学 Japan の国際ボランティア枠への応募を考えたことがきっかけでした。
何か世界で教育に関わるボランティアをできないか探していたところ、プロジェクトアブロードをインターネットで⾒つけ、参加しようと思いました。
⻑期間海外に滞在したことのない私でも安⼼できるシステムと、⾳楽を教えるなど⾃由な活動がある程度可能だったことも理由の⼀つです。
カンボジア ✖ チャイルドケアの理由
カンボジアでの⾼校⽣スペシャルのチャイルドケア&地域奉仕活動を選択した理由は、まずは活動国です。
以前タイに訪れたことがあり、またタイ⼈の友達との交流のなかで、活気と暖かさに溢れる東南アジアに興味を持つようになりました。
漠然と東南アジアでの活動を考えてきたとき、カンボジアでは⾳楽教育が⼗分に⾏えていないという話を聞き、カンボジアでの活動を希望するようになりました。
また学校の講演会で、16歳でカンボジアへ訪れたフォトジャーナリストの安⽥菜津紀さんのお話を伺ったことも刺激になりました。
⾼校⽣スペシャルにした理由は、既定のプログラムがあり安⼼だった上、世界中の同年代である⾼校⽣に出会える機会だと考えたからです。
チャイルドケアプログラムに参加した理由は、もちろん⼦供たちへの教育を体験したかったからです。
トビタテ留学生として
渡航前は、なぜか不安がありませんでした。
春にトビタテ留学Japan の⼆次⾯接が終わり、結果が発表され、無事合格という知らせを受け⼤変喜びました。
その後プロジェクトアブロードへの申し込みも終え、いよいよ現実味が増していました。
終始カンボジアへの渡航を⼼待ちにしていました。
6⽉になると、トビタテ留学 Japan の事前研修会が⾏われました。
この事前研修会は、留学に留まらず、今後の⼈⽣にまで刺激を受けたことを鮮明に覚えてい ます。
地⽅も含め⽇本全国から集まった熱意のある⾼校⽣と語り合い、⾃分になかった視野 や価値観を知ることもできました。
そのなかで、カンボジアで今しかできない経験をしよう、と強い意志を持つようになりました。
活動の3つの柱
活動内容は、⼤きくわけて3つでした。
学校で⼦供たちと触れ合う活動、校舎のペンキ塗り、そしてその他のアクティビティです。
学校では、⼦供たちと様々な形で触れ合いました。
授業を⾏ったり、⼀緒に遊んだり、ゴミの分別や⼿洗いの⽅法を教えたりもしました。
授業は、⽇によって教える学年がローテーション⽅式に変わっていきました。
幼稚園から⼩学校6年⽣までいるので、当然学年によって教える内容を⼯夫しなくてはなりません。
低学年のクラスでは、⾊や動物などを教え、中学年のクラスではもう少し⾼度な英語などを教え、⾼学年のクラスではさらにアカデミックな内容の授業を⾏いました。
それに加え、個⼈的な活動として、中学年に⽇本の⽂化について紹介し、⾼学年に⾳楽を教えました。
いずれも、⼦供たちは興味津々に⽿を傾けてくれたので、やりがいを感じました。
⼀⽇だけ、⼦供たちにもわかるようなポスターを作り、ゴミの分別の仕⽅を教え、実際にゴミを集め分別してもらいました。
学校へ⾏く最後の⽇は、⼦供たちに⼿洗いの⽅法を教えました。
ペンキ塗りは、⾊落ちしていた校舎の修繕という形で⾏われました。
まずは掃除をして汚れを落とし、その後ペンキを塗っていきました。
全体を塗り終えたとき、綺麗になった校舎を⾒て達成感がありました。
それでも、電気や空調がなく、敷地内も舗装されていない環境に驚きました。
まさかの体力勝負!?
苦労したことは、クラスマネジメントです。
授業に先⽣はおらず、ボランティアのみで1時間クラスを管理しなければなりません。
⾼学年のクラスは円滑に進⾏することができ、特に問題はありませんが、低学年や幼稚園クラスを担当したときは⼤変でした。
⾼度なクメール語を話すことはできませんし、⼦供たちも英語を解しません。
そのなかでみんなをまとめるのはとても⼤変でした。
体⼒勝負とも⾔えます。
ジェスチャーやゲームなど、楽しい授業で何とか管理していました。
文化と歴史に触れた週末
その他にも、カンボジアの⽂化を満喫できるアクティビティが沢⼭ありました。
週末にはシェムリアップを訪れ、アンコールワットや周辺の寺院を⾒学しました。
想像していたより壮⼤で、ヒンドゥー教として使われたものを仏教に転⽤する⽂化も興味深いものです。
しかし、⼀番印象に残ったのは、クメール・ルージュ時代に拷問施設として使われたトゥール・スレン強制収容所と、⼤量虐殺が⾏われたチュンエク虐殺記念館を訪れたことです。
当然、カンボジアを訪れるにあたり、その歴史について調べてはいましたが、その凄惨さは想像を遥かに超えていました。
地⾯に⽬を落とせば、回収できていない被害者の⾐類や⼈⾻がむき出しになっています。
発⾒されたそのままの⽣々しい拷問所や、⼤量の頭蓋⾻。
⼈が⼈として扱われない歴史を忘れてはいけないと⼼に誓った瞬間でした。
カンボジアでの生活
滞在先は、プノンペンにあるホテルでした。
かなり快適です。
⾷事、空調、部屋など全て清潔に整っていました。
ただ、部屋によっては窓がなかったり窓が機能していない場合があり、部屋を変えるボランティアもいました。
朝⾷は毎⽇ホテルで⾷べました。
洋⾷とクメール料理のバイキング形式でした。
昼⾷は活動先の島にあるレストランで⾷べました。
基本的にクメール料理でした。
⼣⾷は外⾷することが多かったです。
様々な料理が選べましたが、僕はたいていクメール料理を⾷べていました。
クメール料理は⼝に合わない⽇本⼈もいましたが、独特の美味しさがあります。
タランチュラを⾷べたときは衝撃的でしたが、味は悪くないです。
洗濯は数回⾃分でやりましたが、3⽇に1回ランドリーを有料で利⽤できるので、それを利⽤していました。
ルームメイトは中国⼈でした。
英語はあまり通じませんでしたが、チェロ奏者らしく、⾳楽の話をしていました。
カンボジアでの出会い
⼀番印象に残っているのは、もちろん現地の⼦供たちです。
私は、渡航前に少しだけクメール語を学んでいました。
そのため、多少⼦供たちと話すことができたのです。
コミュニケーションを取っていくなかで、さらに⼦供たちからクメール語を学び、最後はクメール語も交えつつ⾳楽を教えていました。
現地の⼦供たちはとても元気で、素直で、器⽤で賢く、とても優しいです。
果物を割って私にくれたり、カンボジアの⽂化を教えたりしもしてくれました。
その分別れはつらいものでした。
別れ際に、⼦供たちが「ネァッ、マッペァッロボックニョム」(あなたは私の友達)と⾔ってくれたことは忘れません。
彼らは、私の⼈⽣への⽬標をより確固たるものにしてくれました。
この思い出を⼀⽣⼤切にしたいと思いました。
カンボジアで得た多面的な学び
この活動で学んだことはとても多⾯的です。
まずは、カンボジアという国の⾒⽅が変わり、とても好きになりました。
発展途上国というと、貧しいというイメージから憐れみの⽬で⾒がちです。
しかし、実際に訪れてみると、それは単に内戦から40年しか経っておらず、さらにポル・ポトによる⽂化破壊によって経済発展が遅れただけにも思えます。
滞在先のホテルでは、仕事中にホテルマンがキャッチボールをしたり、⼦供とロビーで遊んだりしていました。
スーパーでは、レジな係同⼠が爆笑しながらおしゃべりしていました。
いずれも⽇本ではクレームが殺到するような光景ですが、この独特の暖かみが魅⼒的に感じました。
⼦供たちの笑顔もそうです。
ここには確実にGDPでは量りようもない幸福があったのです。
⽇本を含め、先進国が⽀援をしなければならないのはもちろんのことです。
しかし、先の専制の歴史があるだけに、この国の⽂化や⼈々の優しさは永遠に尊重されてほしいと思いました。
改めて感じたのは⾳楽の⼒です。
鍵盤ハーモニカを教えた時や、⾳階やリズムを教えたときは、とても興味深く授業に参加してくれました。
休み時間も教えてほしいと頼まれたり、歌い続ける⼦供たちの姿に、国境の壁をも超える⾳楽の⼒を感じました。
「チョールチャッテントラィルーテー?」(⾳楽は好き?)という問いに、「チョール!」(好き!)と叫ぶ⼦供たちに、もっと⼒になれる⼈材になりたいと思いました。
併せて教育、特に⾳楽教育の⼤切さも痛感しました。
学校には楽器が1つもありませんでした。
⾳楽の授業もなく、社会科の⼀貫として歌を習う程度だそうです。
⾳楽教育は、⾳楽の様々な⽂化的側⾯を鑑みたとき、情操教育として⽋かせないものです。
これは、どこの国や地域にとっても普遍的に重要だと思います。
しかし、実態としては⾳楽教育が⼗分に⾏われているとは⾔えません。
とある⼦供は、鍵盤の仕組みを教えただけで1⼈で吹けるようになっていました。
才能やセンスというのは経済⼒に⼀切関わりないのに、それを⽣かせるチャンスは恵まれてる⼈間にしかない。
私⾃⾝が恵まれてるだけに、それがとても勿体なく感じたのです。
自分の夢への原動力
私は4歳のときにピアノを初めてから今に⾄るまで、様々な⾳楽を経験してきました。
ピアノはずっと続けていて、コンクールに出場したり、オーケストラのピアノソリストも務めます。
以前はブラスバンドでトランペットを吹き、今はオーケストラ部で打楽器、ヴィオラ、そして指揮をしています。
そして何より⾳楽、特にクラシック⾳楽を⼼から愛しています。
⾳楽そのものは楽しくて仕⽅ありません。
⾔葉にはできないような表現をしたり、それを⼈に伝えたり、また様々な演奏に⼼を打たれたりと魅⼒に溢れています。
その⼀⽅で、常に理不尽さのようなものを感じてきました。
私⾃⾝も、たまたま⽇本に⽣まれ、たまたま経済的に切り詰めていない家庭に育ち、その⼒によっていわば⾃⼰満⾜的に⾳楽を楽しんでいるという⾒⽅もできなくはありません。
さらに、コンクールなどでも、客観的におかしいようなシステムに、皆違和感を持っていないようなことがしばしばあります。
このようなことを何とかしたいと思い始めたのが、将来の夢を考えるようになったきっかけです。
もっと世界に貢献したい
今回の活動を経て、⾳楽と社会との関係の必要性について、今までわからなかった⾓度から知ることができました。
また、教育に何が求められてるのかも少しは理解することができました。
⾳楽は、⾃由な表現の⼿段となったり、豊かな情操を育んだり、⼈々の精神を豊かにしたり、娯楽となったり、社会には⽋かせないものです。
しかし、時に社会と乖離してしまうというジレンマが⽣じます。
だからこそ、将来は芸術と社会を繋ぐ存在になりたいのです。
この体験は、⾃分の⽬標に厚みを持たせ、確実なものにしてくれました。
同時に、現実も学べました。
⽀援して下さった、プロジェクトアブロード、トビタテ留学 Japan を始め、様々な⼈に深く感謝し、もっと世界に貢献できるようになりたいです。
これから参加する高校生へ
プログラムでは、本当に様々な⾓度から学ぶことができると思います。
今後参加する人にも、その国でしか体験できないことを積極的にチャレンジしてほしいです。
チャイルドケアプログラムに⾏かれる⽅は、コミュニケーションを取ることが⼀番⼤切だと思います。
現地の⾔葉を少しだけでも勉強することをおすすめします。
私は今、次カンボジアを訪れる時のためにクメール語をさらに勉強しています。
⼤事なのは伝わるかどうかというより、コミュニケーションを取ろうとする姿勢を伝えることだと感じました。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。