もう一度ケニアに行きたい

わたしが初めてアフリカに行ったのは、小学生の時でした。

家族でケニアに行き、サファリやマサイ族の方たちとのふれあいをしていくうちに、怖いイメージのあったアフリカは一気に大好きな場所となりました。

それから10年の時を経て、大学生になり時間も充分に取れるので、もう一度ケニアに行きたいと思い、インターネットで単身でも安全に渡航できる方法はないかと探していたところ、プロジェクトアブロードを見つけました。

ボランティア経験はなかったのですが、もともと動物や植物など自然が大好きなので、その保護に関われるのなら、と申し込みました。

ケニアへの旅路で

一人で海外へ行くのは初めてで非常に心細かったのですが、ナイロビ空港に行くと現地のスタッフとすぐ合流できたので、とても安心しました。

ナイロビに着いた時のあの独特の外国の香り、湿度、私はとてもわくわくしていました。

空港から数時間車を走らせ、宿泊場所へ行くと、他のボランティアのメンバーが快く歓迎してくれました。

ボランティアのメンバーはヨーロッパからきている人が多く、日本人はいなかったので、英語がそこまで得意でない私は言葉が通じるのか心配でしたが、毎日寝食を共にし、体を動かしボランティア活動をしていくうちに少しずつ英語で会話を交わせるようになり、仲良くなっていきました。

大自然での活動&生活

朝は7時に起床し、平日は1日に午前・午後で2種類の活動をします。

有害な輸入植物を除去したり、キリンやハイエナを観察したり、学校に行って環境保護教育に取り組みました。

私が滞在していた「Kigio wildlife camp」は、まさにサバンナのど真ん中にあるようなところで、キャンプの周りには毎日イボイノシシやシマウマ、インパラなどたくさんの動物が訪れました。

また少し歩けば、色とりどりの珍しい鳥やアミメキリンもたくさん見ることが出来ました。

動物が大好きな私には、夢のような場所でした。

キャンプでは、電気は限られた時間しか使えずお湯は火をおこさないと出ない、など不便なことがたくさんありました。

しかし、だからこそ自然を身近に感じられ、貴重な体験ができたと思います。

ケニアでの食生活

ケニアでの食事ですが、ハイクオリティーな料理に慣れてしまっている日本人にとっては、少し受け入れ難いものも時折あって、最初はこの食事で2週間いけるのだろうかと不安になりました。

しかし、現地の伝統料理である小麦粉と砂糖と水を練って薄くのばした「チャパティ」はとても好きでした。

チャパティは、豆を柔らかく味付けして煮たものなどを包んで、主食がわりに食べます。

食事は豆が多く、お肉があまり出てこなかったので、「No more beans! I want meat!!」とみんなで騒いだのも、今となっては楽しい思い出です。

ケニアで出会った人々

私は食事の時間の前になると、キッチンで現地のケニア人スタッフとお話しながら、料理の手伝いをしていました。

ケニア人スタッフは皆とても陽気で、日本のことにも興味津々であり、お互いの国についてたくさんのことを話しました。

ニックネームを付けてもらったり、ケニアの主食であるウガリを分けてもらったり、彼らといるのはとても楽しかったです。

ボランティアのメンバーは、それぞれの滞在期間が終わると自分の国に帰ってしまうので、私の滞在中にも何度か寂しい別れもありましたが、新しいメンバーが入ってくる出会いも経験しました。

ボランティア活動だけでなく、夜は一緒にトランプで遊んだり朝散歩に行ったり、毎日みんなと仲良くなっていくのがとても嬉しかったです。

同じくらいの歳で、オランダから来たTimoという男の子とは特に仲良くなり、からかわれたりすることも多かったですが(笑)、長く滞在している彼からは、動物のことをたくさん教わりました。

一緒に街を散策したこともありました。

私を成長させてくれた経験

2週間という短い間でしたが、このケニアでの経験は非常に大きかったと思います。

日本人がいない環境におかれたのも初めてでしたし、大自然のなかで動物とともに生活でき、ひとりでアフリカに行って帰ってきたということが、自分にとっておおきな自信になりました。

成田空港に着いた時、なんだかひと回り大きくなったような気がしました。

機会があればまたぜひとも行きたいです。

プログラム詳細へ

体験談一覧へ

ケニアでアフリカ東部サバンナ環境保護 川原惟子

この体験談は、主観に基づいて綴られています。

その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。

ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。