きっかけはグローバルフェスタ
昨年、外務省が主催するグローバルフェスタに参加したことがきっかけで、国際協⼒に興味を持ち持つようになりました。
そこから発展途上国で教育ボランティアをやりたいと思うようになり調べて⾏くと、⾼校⽣だけのプログラムであり、また世界中からボランティアが集まるという Projects Abroadを⾃分でインターネットで⾒つけ、参加を決意しました。
出発が7/7 からだったのですが、7/5まで期末考査期間で、渡航前で⼤丈夫かなぁと⼼配する余裕もなく、ただただ出発準備に追われていました。
ただ、事前に⽇本⼈が6⼈もいるということがわかっていたので、⽇本⼈で固まりたくないなぁ、ということだけ⼼配でした(実際そんなことは全くなかったです)。
カンボジアで取り組んだ活動
基本的に、午前中は現地のパブリックスクールで英語を教え、お昼ご飯の後は学校の壁のペンキ塗りや、駐輪場作りのための芝刈りなどの⼯事作業を⾏いました。
1⽇に働いている時間は6時間くらいでした。
朝私たちがバスで学校に到着すると、教室から⾶び出して、⼿を振ってくれる、とてもフレンドリーな⼦供達ばかりでした。
私は、6⼈グループで⼩学校⼀年⽣の学年を担当しました。
前⽇のグループミーティングでは、⼦供達がどれくらい英語を知っているのかわからない状態だったので、初⽇はアルファベットと動物の名前を教えよう、という計画を⽴てました。
実際現場へ⾏くと、⼦供達はABCの歌を歌えたり、簡単な動物の名前は知っていたので、翌⽇からは少し難易度を⾼めに設定しました。
以下は、私が学校で教えた授業⽇と授業内容です。
(1⽇⽬)ABC のかるたを利⽤して授業(前⽇に 26 枚アルファベット分作成)、動物の名前を教えた。(ホワイトボードに絵を書いた)
(2⽇⽬)Family treeを書いて、Grandmother、Grandfather、Mother、Fatherなどの簡単な名称を教えた。⾃分の家系図も描いてもらった。また、「What is your name?」 などの簡単な⽂も教えた。
(3⽇⽬)Environment dayで環境問題について3年⽣に教えた。私たちがゴミをポイ捨てしたらどうなるか、リサイクル製品とリサイクルできない製品を教え、外に出て簡単なゲームをした。
(4⽇⽬)体の部分の名称を教え、歌を作って⼀緒に歌った。この⽇は仏教徒にとって⼤切な⽇で、⽣徒が半分しかいなかった。外に出て、⼦供向けの歌をみんなで歌って遊んだ。
(5⽇⽬)数字を教えた。⾃分たちが英語で数字をホワイトボードにかき、それを板書してもらった。
(6⽇⽬)最終⽇だったのでお菓⼦パーティーをした。
午後の建築は、ペンキ塗りを中⼼に⾏いました。
学校の壁が剥がれていたり、⾊が褪せてしまっていた部分がたくさんあったので、全てのドアと壁を塗り替えしました。
また、⼦供達はバイクや⾃転⾞で登校するので、校庭に乗り物を駐⾞していました。
ですが、⼦供達は休み時間にボールで遊んだりするので、何度も⾃転⾞にぶつかったりしていました。
そのため、私達は学校の裏に駐輪場を作ることになり、まずは芝刈りから⾏いました。
私達は⽇数が限られていたので、セメントを流すところまではできませんでしたが、私たちの後にくるボランティアが完成してくれるみたいです。
ある一人の少女
私が教えていたクラスには、紙⾯にものを書くことができない⼦がいました。
私たちがホワイトボードに書いたものを写す、という作業になかなか⼿が進まなく、⾃分の好きなものを書いてみよう、という課題のときも紙を眺めているだけで、鉛筆が動かない⼦でした。
クラスの中には、スラスラ板書を写しあげてしまう⼦もいれば、このように紙にものを書くことを躊躇する⼦が3⼈いました。
担任の先⽣に聞くと、クメール語の授業の時も書くことができない⼦供達らしく、その理由はご家庭のご両親が紙に書く習慣がなかったり、ご両親が⽂字をかけない場合も多いとおっしゃっていました。
私はそのうちの⼀⼈の⼥の⼦を担当しました。
その⼦の⼿を上から握って、⼀緒に鉛筆を持って板書をする作業を活動⽇は必ず⾏っていました。
最終⽇もNUMBERSという⽂字を紙に書いて欲しいのに、10分間椅⼦に座り続けたまま、動こうとせず、⼀緒にNUという⽂字まで書き、その後、ホワイトボードを使ったり、⼀緒に空中でBという⽂字の練習を10分くらい⾏いました。
そうしたら、ついに最終⽇に、20分くらいかけて、やっと⼀⼈でBという⽂字を紙に書くことができるようになって!!
いつもは書いたら(⾃分の書いたものに⾃信がないのか、⽂字を写すことに律儀すぎる性格なのか)どうしてかすぐ消してしまう⼦だったのですが、それは消すことなく、次のEという⽂字の練習をすることができました。
教えていたのはたったの5⽇間ですが、5⽇前は全くかけなかった⼦が毎⽇練習して1⽂字かけたときは本当に嬉しかったです。
担任の先⽣も、本当に喜んでいらっしゃいました。
休日の貴重な経験
休⽇は、カンボジアのポルポト政権時代の⼤量虐殺について学びました。
Killing Fields を全員で⾒てから⾏ったので、残酷な歴史を感じ、他のボランティアとも感じたことをお互いに語ることができました。
私はミュージアムショップで買ったポルポト政権時代の本を現在読んでいる途中です。
また、シェリムアップまで⾏って世界遺産であるアンコールワットにいき、⽇の出を⾒ることができました。
とても幻想的で、感動しました。
カンボジアでのホテル生活
滞在先のホテルはサービスも充実していて、⼤変過ごしやすい環境でした。
滞在先で出される⾷事も美味しく、⾷べ物に困ったことはありませんでした。
Free wifiサービスもありましたが、部屋によって繋がりやすい部屋とそうでない部屋がありました。
洗濯は、1キロあたり2ドルでやってもらえました。
朝フロントに洗濯を出したら、その⽇中に返って来ました。
ただ、たまに返却時に⾃分の洗濯物でないものが⼊っていたり、逆に⾃分の物が⼊っていなかったり…
(結果フロントに⾏って全ての洗濯物を開けて、⾃分のものが帰って来ました)
あと、洗濯に出したら、持って来たズボンがかなり縮んでしまったり…
履けなくなるくらい。笑
匂いとかはきつくなくて、洗濯も綺麗にしてもらえたので良かったのですが、たまにこういう問題が発⽣しました。
基本的に朝はホテルで⾷事をとり、昼は活動している学校の近くにあるレストランで毎⽇違うカンボジ料理を頂き、晩御飯はホテルもしくは外⾷でした。
朝はご飯、麺、シリアル、パン、おかずが3種類程度、フルーツ、サラダバーなど種類が豊富でした。
昼はfree wifiが備わっているレストランで⾷事をしました。
カンボジア料理のアモックやビーフルックラックなどを頂きました。
結構味が濃く、好き嫌いがかなり別れると思います。
私は美味しいと思いましたが、同じテーブルの外国⼈たちは⼀⼝⾷べてやめてしまったり…
⽇本⼈同⼠でも好みははっきり別れました。
(どうしても⾷べれなかった場合は、アドバイザーが他の⾷べ物をオーダーしてくれました)
夜はイタリアンを⾷べに⾏ったり、ドミノピザに⾏ったり、カンボジア料理屋さんに⾏ったり、ホテルで⾷べたり、⽇替わりでした。
個⼈的に、カンボジアで⾷べれなかったものは⼀つもありませんでした。
⾒たことのないフルーツを⾷べて⾒たり、タランチュラも普通に⾷べることができました。笑
頭部がおいしかったです。
私の泊まっていた部屋はトイレとシャワーの仕切りが⼀つもなく、トイレの真上にシャワーヘッドがあったので、シャワーを浴びたらトイレがびしょ濡れでした。
また、2週間を通して特に気をつけていたことは、⻭磨きをするときの⽔についてです。
⻭磨きをするときは、必ず飲料⽔を使って磨くようにしていました。
プノンペンのホテルの⽔は特に問題なさそうだったのですが、シェムリアップのホテルの⽔は明らかに変な匂いがしました。
なので、念のため、初⽇から⻭磨きをするときは飲料⽔でするようにしていました。
私のルームメイトは、⽇本⼈の⼥の⼦でした。
中には別国籍のボランティアとルームメイトになる⼈も多く、相⼿の⽣活習慣が理解できなくて悩んでる⼈もいました。
私が参加した今回のプログラムには⽇本⼈が私を含めて6⼈いたのですが、そのうちの1⼈はアメリカに⻑い間住んでいる⼦、4⼈は⽇本国内のインターナショナルスクールに通っていて、⾃分も帰国⼦⼥なので、みんな英語が話せる環境でした。
なので、特にずっと⽇本⼈で固まるということはなく、たくさんの国からきたボランティアと交流することができました。
でも、たまに⽇本⼈で集まってお味噌汁を飲んだり、お煎餅を⾷べてお話ししたときは落ち着きました。笑
カンボジアで得たフランス人の友
私たちのは30⼈のグループだったのですが、そのうちの13⼈はフランス⼈で、はじめの1週間はフランス⼈がみんな固まってしまって、グループミーティングの時もフランス語で会話するので、全くわからず…
「英語で話そうよ」、と⾔っても5 分後にはフランス語に戻っていて。
でもしばらく経つとフランス⼈の中でもだんだん、「Speak in English!!」と注意し合う様⼦も⾒られ、最終的にはフランス⼈の⼦とも仲良くなることができました。
これも、世界中からボランティアが集まる Projects Abroad だからこそ感じる悩みなのだと思います。
フランス語は響きがお洒だなぁと個⼈的に思っていたので、フランス⼈にフランス語を教わるというとても貴重な体験もさせてもらいました。
仲良くなったフランス⼈の⼥の⼦は、来年の2⽉、私に会いに⽇本にきてくれるみたいで、帰国後お⽗さんを説得して、「試験のスコアがよければ⽇本に⾏ける!」と歓喜のメールが先ほど届きました。
今からどこに⾏きたいか話しているので、本当に楽しみです。
カンボジア人目線を教えてくれたアドバイザー
また、私は現地アドバイザーの⼀⼈のカンボジア⼈のSoridaという⼥性と仲良くなり、お昼休みはだいたいSoridaとカンボジアの教育の現状について2⼈で話していました。
彼⼥は⽐較的教育環境には恵まれていて、⼤学で開発学を専攻し、いまはNGOで働いている⼈でした。
⾃分もカンボジアに来たのは将来教育開発に携わる仕事がしたいから、という理由だったので、Soridaからたくさんのことを聞き、学びました。
カンボジアは発展途上国の中では発展が著しいと⾔われているものの、それはプノンペンやシェムリアップの⼀部だけであって、10km離れたところではゴミだらけの場所があったり、児童労働が⾏われていたり、発展しているとはかけ離れた状況でした。
⾃分が実際にカンボジアでこれらのことを⾒て感じていたことを、Soridaがカンボジア⼈⽬線からどういう現状なのかを語ってくれた時間は、とても貴重なものでした。
私はSoridaと話したことによって、⾃分の将来やりたいことがまだ曖昧だったのが、少しはっきりするようになりました。
カンボジアで学んだこと
このプログラムを通して、私はたくさんのことを学びました。
⽬標を⾒つけたことから、⼤学で学びたいことが明確になったのです。
カンボジア⼈は英語や中国語などの他⾔語を⼀つ喋ることができるだけで良い仕事につくことができる、ということをアドバイザーから聞きました。
ですが、実際現状問題、学校の数や教員の数が少なく(ポルポト政権の影響でベテランの先⽣がいない、等の問題もあり)クメール語を読み書きできない⼈も多いということを知りました。
⾃分はカンボジア⼈の識字率を100%にする為にはどうすればいいのか、もっと学びたいと思うようになりました。
5⽇間の努⼒の末、私のクラスにいた⼥の⼦が紙に⽂字がかけるようになりました。
この経験を通して、⾃分は教育開発がしたい、という⽬標が明確になりました。
また、スポーツと⾳楽は最⾼の⾔語ツールであることを実感しました。
⼦供達と休み時間はずっと遊んでいたのですが、お互い話している⾔語が違うので、あまりコミュニケーションが取れず、少し悩んでいました。
しかし、ある時アドバイザーがバレーボールとサッカーボールをくれ たので、みんなと遊んでみると、⼦供達とお互い本当に⼼の底から笑って楽しむことができ ました。
私はサッカー部なので球技は⼤好きで、その⼤好きなもので⼦供達を仲良くなれることができて本当に嬉しかったです。
たった⼀つのボールで30⼈以上の⼦供達と仲良くなることができ、ボールは世界共通の最強の⾔語ツールであることを実感しました。
また、⽇本のものを紹介するために私は鍵盤ハーモニカを持っていたのですが、現地の⼦供達にも他のボランティア仲間にも受けがよく、みんなに楽しんでもらえることができました。
私が演奏した⾳楽で⼦供達が踊ってくれたりして、本当に嬉しかったです。
鍵盤ハーモニカはボランティアのフランス⼈の⼦がピアノストを⽬指しているということで、その⼦にプレゼントしました。
とっても喜んでくれて、こちらまで嬉しかったです。
私は⽇本にいる限り鍵盤ハーモニカを触ることもなかったので、こんなに喜んでくれるならプレゼントして本当によかったと⼼から思いました。
持続的なボランティア支援を
このプログラムに参加し、実際に現地の教育の現状を⾃分の⽬で⾒れたことはとても貴重な体験でした。
私が実際に⾏った学校の⼦供達は、いつも笑顔で⼿を振ってくれたり、とてもフレンドリーで良い⼦達ばかりでした。
ですが、あまりにも⼈懐こすぎる、ボランティア馴れしすぎているように感じました。
ボランティアが定期的にその場に訪れ、現地の⼦供達に英語を教えている取り組みは素晴らしいものだと思います。
⼀回きりの⽀援ではなく継続してボランティアを⾏うことは、カンボジアの⼦供達に英語教育を持続的に提供できるというメリットがあると思います。
ですが、ボランティアが来てくれる、ということを当たり前だと思ってしまうと、いつまで経っても国の教育は発展しないのではないかと考えるようになりました。
私たちボランティアは、簡単に物資を提供することはできます。
ですが、提供するだけでは、ボランティアの⼿がなくなった時に困ってしまう。
持続的な、サスティナブルな⽀援⽅法を考えるようになりました。
カンボジアの子供たちの現状を知って
アンコールワットに⾏った際、観光客向けにものを売っている⼦供達をたくさん⾒ました。
アドバイザーのSoridaも、カンボジアには家のために働くために学校に⾏けない⼦もたくさんいると⾔っていました。
就学率は100%である⽇本から来た私たちには、学校に⾏きたくても⾏けない、ということは簡単には想像できるものではありませんでした。
ですが児童労働を実態を⽬にし、その⼦達が知っている数少ない英単語が、商品を売るために使う英語だということを知った時、本当に胸が締め付けられました。
近年カンボジアは、中国や⽇本の経済的⽀援の影響で東南アジアの開発途上国の中でも著しく経済発展をしている国であると⾔われています。
ですが、現地に行ってみると、経済成⻑がみられるのはプノンペン市内、シェムリアップの⼀部だけであり、カンボジア全体が経済発展をしているとは到底⾔えない状況でした。
私はこの夏プログラムに参加し、カンボジアの現状を⾒てしまった以上⾒過ごすことはできません。
⼤学でしっかり勉強し、将来絶対にカンボジアの識字率を100%にする取り組みに参加したいです。
進路が定まった高校2年の夏
私が今回 Projects Abroad を利⽤して海外にボランティア活動をしようと思った理由の⼀つに、⾃分の進路について考えるきっかけにしたいということがあります。
⾃分はこのプログラムに参加する前から、国際協⼒に興味があり、将来何かしらの形で国際協⼒に関わる仕事がしたいと思っていました。
ですが、国際協⼒というのは様々な視点からアプローチができるものであり、⾃分はどのような形でアプローチしたいのか(将来国の政府機関で働き間接的に開発途上国の⽀援を⾏いたいのか、⻘年海外協⼒隊のように現地で活動を直接的にするのか、NGOで働くのか)迷っていました。
将来就きたいと思う職業によって、⼤学の進路は変わるし、漠然とした⽬標だけでは私は努⼒できないタイプの⼈間なので、このプログラムで経験したことを活かせれば良いと考えていました。
実際、このプログラムを通して、私は将来の⽬標が明確になりました。
私は現地での経験やアドバイザーとの話で、貧困、ジェンダー問題、世界中の様々な問題から打破するために「教育」は最⼤のキーになると確信したため、⼤学では開発学の中で経済開発、教育開発を専⾨的に学びたいと思いました。
⼤学は、開発学の発祥の地であるイギリスで学びたいという⽬標もできました。
まだまだ進路希望は変わるかもしれませんが、このプログラムを通して⾃分のやりたいことがはっきりしたことは間違いありません。
⾼校2年⽣の夏にこのプログラムに参加することができて、本当によかったと思います。
これから参加する高校生へ
これからこのプログラムに参加できるのは、本当にラッキーだと思います。
⾃分が与えら れたチャンスを最⼤限に活かし、現地で⼈⼀倍吸収して来てください。
Projects Abroad は世界中からボランティアが集まるので、現地の⼈以外とも交流ができ、様々な⽂化に触れる事ができます。
時にそれは⾃分の⽂化と異なりすぎて、カルチャーショックを受けるものであったり、逆に地球の反対側の国と意外な共通点があるかもしれません。
ワクワクドキドキ、インスピレーションに溢れたこのプログラム期間は本当に充実していました。
可愛い⼦供達、素敵なアドバイザー、⼤切なボランティア仲間との出会い(⼀番仲良くなった友達は来年2⽉に⽇本に遊びに来てくれます!)。
本当にこんなに充実していた2週間は、今まで体験した事ないです。
これから参加する⽅は、思う存分楽しんで来てください!!
応援してます。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。