青年海外協力隊での経験を次へ
私は、プロジェクトアブロードに参加する前、青年海外協力隊の看護師隊員として中央アジアの国で2年間活動していました。
帰国を目前にして進路に悩んでいる時、インターネットでNGOやNPO団体を検索していて、プロジェクトアブロードのホームページを見つけました。
今後も国際看護分野で活動していきたいと漠然と考えていましたが、自分の都合に合わせて活動期間を決められることや、希望にあった国を選べるところに魅力を感じ、次の就職先を決めるまでの間に参加することに決めました。
語学力には不安がありましたが、専門分野での英語力を伸ばしたかったので、英語圏の保健医療系のプログラム選びました。
その中でガーナを選んだのは、5大陸で唯一アフリカ大陸に行ったことがなかったので、行ってみたかったという単純な理由からです。
私ができることをとことん
ガーナでは、首都から車で2時間ほど離れた町の病院の外科病棟で活動しました。
ほとんどのボランティアが欧米から来ており、彼らは現地のスタッフと英語でのコミュニケーションがスムーズにできていました。
また、ほとんどが学生で、それぞれ1人の看護師について業務を見学したり実施体験したりしていました。
そのような中で、私1人だけガーナ人の英語がなかなか聞き取れず、長いセンテンスでの会話ができないので、看護師に敬遠されがちでした。
私自身は自己判断して看護業務をこなすことができたため、フリーで気付いたことを実施していました。
主に、患者さんのシーツ交換や、清潔ケア・採血などをしていました。
慣れてくると、ある重症患者さんの創処置を専属で実施するようになりました。
他の病棟を経験することも可能でしたが、1ヶ月間外科病棟のみで活動しました。
旅行が不自由なくできる程度の語学力でしたので、ある看護師に「あなたは英語がしゃべれないから手伝わなくていい」と言われたこともあり、専門用語も必要な医療現場で活動するのは無謀であったかもしれないと悩んだ時期もありました。
でも協力隊の活動と違い、看護師の行動変容を目的としているわけではなく、自分の経験や成長のためだと思い、地道に自分のできることをやり続けました。
外科病棟には子どもも何人か入院していましたが、母親は兄弟の世話もあり、つきっきりになれません。
私が代わりにつきそってあやしたり遊んだりするうち、現地語しか話せない子どもたちとも交流が図れるようになりました。
また、長期で入院していた患者さんからは、ケアに対する感謝の気持ちだと、退院時にメッセージボードをいただいたりしました。
私のケアを見ていた看護学生は「日本に行って勉強してみたい、あなたのように働きたい」と言ってくれました。
日本で培った知識や技術を活かし、ガーナの文化も尊重したうえで患者さんのために実施したケアが評価され、うれしかったです。
日本人の視点からの現地生活
ガーナでは、他のボランティア数名と同じ家庭でホームステイをしていました。
バケツシャワーや手洗いでの洗濯は、協力隊経験で慣れていたので苦にはなりませんでしたが、日本でいかに便利な生活ができていたかを思い知らされます。
ホームステイ先の子どもが早朝から掃除をしたり、家族の洗濯をしたり、私たちの食事を用意してくれたり・・・ガーナの子どもはとてもよく働きます。
得た成長と今後への熱意
1ヶ月の生活ではガーナのすべてを知ることはできませんが、週に1回の往診業務で訪れる村では、貧富の差を感じずにはいられませんでした。
途上国支援という視点では、まだまだ介入できることはたくさんあるのでしょうが、異文化の国で生活するだけでも、日本のこと、自分自身のことを見つめなおすきっかけになります。
また、異文化のすべてを受け入れて生活することは難しいですが、今まで当然だと思っていたことも、国が変われば価値観も変わるのだということも身をもって体験しました。
以前に比べて柔軟に物事をとらえられるようになり、好奇心も増幅する一方です。
ガーナでのプログラム経験をステップアップとして、今後も日本や海外の看護の分野で貢献したいと思います。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。