その時が来た
9歳の頃に「貧しい⼦供達に⽀援を」と書かれたポスターを⽬にした。
そこには同い年くらいの少⼥が映されていて、アフリカで撮影された写真だった。
その写真を⾒て、当時の私はとても衝撃を受けた。
いつかアフリカに⾏ってみたい。
アフリカの現状を知り、さらなる発展のために求められるものは何なのかを、現地で活動しながら考えたい。
その思いから、参加を決めた。
チャイルドケアプログラムを選んだのは、教育の視点からタンザニアという国を知りたいと思ったから。
渡航前は、ワクワクが⼤きかった。
憧れ続けたアフリカに上陸することはもちろん、どんな体験が⾃分を待っているのかと、想像を膨らませていた。
自分なりに考えたチャイルドケア支援
6歳までの⼦供がいるケアセンター(保育園のような)で、アルファベット、⾜し算、ヘルスなどの授業をする。
ベビー、ミドル、アッパーの3つのクラスがあり、そこに所属する⼦供の年齢や教える内容は少しずつ変わってくる。
私はベビーとアッパーを担当した。
1週間⽬のアッパーでは、⾜し算、引き算を始め、英語のセンテンスも少し教えた。
アッパーの⼦供は基本的に5〜6歳だが、⼀部に優秀な4歳児も。
⾜し算や引き算の問題を⿊板に書いて⼦供に板書させ、進んでいない⼦供のサポートをしつつ、問題を解き終えた⼦供のチェックをする。
とても積極的な⼦供たちなので、我先にとノートを持ってきて、未チェックのノートの⼭ができるほどだった。
少し⼤変だったが、それを全て確認し返却。
⼦供たちは英語も少しわかるという様⼦だったが、本当に少し。
コミュニケーションをとるにしても、スワヒリ語でたくさん話しかけてくるので少し苦労した。
2週⽬のベビーでは、アルファベットの⾔い⽅、数字の英語での⾔い⽅、お絵かきなどをした。
ベビーでは、アッパーの⼦供たちのように⿊板の内容を板書させるのではなく、⼦供達のノートに⾃分で数字やアルファベットを書いて、その横にアンダーラインを引いて、⼦供達に書かせた。
ベビークラスの⼦供は本当に幼く、最年少の⼦は1歳半だった。
もちろん英語はわからないし、喧嘩も多くて⼤変だったが、少しでも意思疎通できるようになればとスワヒリ語を勉強した。
活動開始から10⽇後くらいに、新しい⼦が⼊ってきた。
その⼦供は、1歳半か2歳くらい。
私はそのときベビークラスの担当なので、その⼦のお世話をすることに。
しかし、到着するなり「まま、まま」と⾔って泣いて、センターから出ようとしていた。
どうしようかと少し悩んだが、まずはその⼦と顔を合わせて座り、ひたすら笑顔で歌を歌ったり、⼿遊びを⼀緒にしたりした。
少し落ち着いた様⼦でホッとした。
しかし外で遊ぶ時間の時、センターの⾨をみるなり再度泣きそうになったため、私も焦ってしまった。
そこでその⼦を抱っこして、⾨を⾒えないようにしながら歌を歌ったりして落ち着かせた。
そのあと抱っこしたままこちょこちょをすると、とっても笑って、楽しそうな表情になった。
私はこの時始めてその⼦の笑顔、笑い声を聞いて、とても嬉しくなった。
ペインティングでは、⼩学校を訪問。
まだ⼩学⽣の残る時間から始めた。
壁をやするところからだったため、初⽇は重労働だったが、壁を塗り始めてからは楽だった。
また⼩学⽣とも話したりして楽しかった。
諦めず、困難に真剣に取り組んだら
全体として、何と⾔っても喧嘩がとても多いことが大変だった。
その喧嘩も殴る蹴るは当たり前の様⼦で、どうやって⽌めればいいかわからなかった。
⼀度、喧嘩の仲裁中に、腕を噛まれたこともあったほど。
ひどかった⽇には、朝の到着時にすでに5⼈の⼦供が泣いていて驚いた。
泣いている⼦供の必死のアピールから、全ての原因は全て⼀⼈の男の⼦だとわかったため、私はその⼦をクラスの外へ連れ出して、肩をしっかり押さえてスワヒリ語で怒った。
その⼦は終始笑っていたが、本⼈にもやってしまったという気持ちがあったようで、その後暴れることはなかった。
⾔語も通じない⼦供達と真剣に向き合うことは、とても難しかった。
頻繁に喧嘩が起こり、その度に⼦供達はスワヒリ語で訴えてくるため、始めは訳も分からず混乱した。
それでも⼀⽣懸命に理解しようと努⼒すると、その姿勢も⼦供達に伝わったようで、知らない間に信頼関係が築かれていた。
また時間が経つにつれて、なんとなくではあるが、⼦供達の⾔いたいことが雰囲気から分かるようになってきて、⼦供達も以前よりたくさん話しかけてくれて嬉しかった。
このプログラムを通して、困難をなんとなく流すのではなく真剣に取り組むことで⾒えてくる、⾃分⾃⾝の変化、周囲の変化があることに気づいた。
「Kids are kids. Wherever they are.」
これはアドバイザーからの⾔葉だが、それを⾝を以て実感した。
どこで⽣活していようと、⼦供は⼦供。
⽇本の⼦供と⽐べても、そう⼤差はない。
肌の⾊、話す⾔葉が違っても、⼈は皆同じなんだと思った。
ずっタンザニアにいたかった
シャワーが⽔だったということ以外、困ったことはなかった。
なんでも買えるし、スマホも使える。
滞在先ではシェフと仲良くなって、スワヒリ語を毎朝教えてもらっていた。
アドバイザーも⼀緒に滞在するので、活動の準備や相談がいつでもできてよかった。
寮での⽣活はとても温かいもので、⽇本の家が恋しいとは⼀度も思わなかった。
帰国するときに、この家を出たくないと思うほどだった。
また帰って来たい場所
全ての経験が素晴らしいものだった。
このプログラムで、私にはタンザニアに帰る場所ができた。
これからの⽬標は、⾔語⼒の向上。
海外の⾼校⽣は、英語だけでなくフランス語やドイツ語など、複数の⾔語を話せて当たり前の様⼦だったことに衝撃を受けたため、私もそこに追いつけるように努⼒したい。
英語はもちろん、フランス語、スワヒリ語の勉強をしようと思う。
英語やスワヒリ語を習得すれば東アフリカでのコミュニケーションには困らないし、フランス語の習得で⻄アフリカでも⽣活には困らなくなると思う(セネガルにも⾏ってみたいから) 。
そして次に、世界情勢をもっと知り、国際協⼒に役⽴つ知識を⾝に付けたい。
情報鎖国と⾔われている⽇本では、海外のニュースをテレビで⾒る時間は少ないが、インターネットが普及した現代では、努⼒次第ではいくらでも情報を⼿にすることができる。
だから、時間を⾒つけて世界の情報を集めていきたい。
そして最後に、来年またタンザニアへ⾏く。
やはり2週間では感じ取りきれなかったものも多いため、よりタンザニアという国を知るために再度渡航したいと思う。
アフリカは遠いと思われがちだが、これらを通して、私はアフリカと⽇本をつなぐ存在になりたいと思っている。
現地の雰囲気、⼈、⾷べ物、全てが好きだ。以前よりもタンザニアのことが好きになったし、たくさんの⼈にタンザニアの魅⼒を伝えていきたい。
これから参加する高校生へ
想像をはるかに超える、素晴らしい経験があなたを待っています。
アフリカは怖いところでも、遠い国でもない。
素晴らしい魅⼒に溢れている。
それをあなた⾃⾝で体感できる機会!!なんて最⾼なんだ!!
この機会を活かすも殺すもあなた次第ですが、努⼒した分だけ、素敵なものが待っていますよ。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。