参加理由
私は現在看護師を目指して大学で勉強中であり、マザーテレサに憧れ看護師を目指したこともあり、将来は途上国の医療に携わりたいと思っている。
そのため、学生のうちに自分の肌で途上国の現状を感じ、自分の手を通して自分の目を通して医療現場を知りたいと思い、プロジェクトアブロードを通して4ヶ月間のプログラムに参加することにした。
ガーナを選んだ理由は、漠然とアフリカがいいなと思っていたのと、英語が通じるところということで。ガーナが候補に挙がったためガーナへ飛び立つに至った。
旅のはじめ
「土が赤いなぁ~」
ガーナへ降り立つ飛行機の窓から見えた景色に対して、私が最初に思ったことである。
極東の日本にいる私にとって、アフリカという地は何があるのか、どんな人がいるのか、全く分からなかった。
テレビで得た情報を集めても、教科書で習ったことを振り返ってみても、表面的なことしかわからない。
でも土の色まで違うのだから、きっとなにもかも違うんだなという思いと同時に、不安と期待がガーナへ降り立つ私の胸をこみ上げた。
空港に降り立つと、なにもかも新鮮で、瞬き一つするだけで数え切れないほどのことが目に入ってくる。
ホストファミリーの家へ向かう道中も、建物や人、店にくぎ付けになり、アフリカの自然が私の目の間に広がり、「あぁ、私はアフリカに来たんだ」と実感し、胸の奥が熱くなった。
ステイ先に着くと、ホストマザーと他のボランティアが私を迎え入れてくれた。
あと、かわいいく人懐っこい犬もいて迎え入れてくれたが、申し訳ないが、私が彼に抱いた最初の思いは「狂犬病、大丈夫かな」であった。
あとで確認したところ、ワクチン接種しているということで一件落着。
このように私のガーナでの日々が幕を開けた。
公衆衛生
最初の2ヶ月間は、Dodowaという首都のアクラから車で1時間程度のところにある町で、公衆衛生プログラムに参加した。
活動内容としては、同じプログラムに参加しているボランティア達と小学校を回り、
「子どもたちの傷の手当て」
「マラリヤやHIV感染の有無をキットで調べる」
「手洗いの指導」
「先生や集まった大人のバイタルサインを測定してアドバイスをする」
「性感染症や妊娠、避妊についての授業をする」
などである。
小学校では、ほとんどすべての子どもが傷を負っていると言っても過言ではない状況にあり、保健室がないため、子どもたちは傷を負っても手当をしないまま放置されていたり、自分なりに手当をしていたりしていた。
私たちが訪れたときには、化膿していたり、傷口が大きく開いていたりしたときもあった。
どうしてこんなに傷を負っているのかというと、合わない靴を履いたことによる靴擦れや、蚊に刺されの悪化や、転んで怪我したりなど、日本であったらどういったことない傷でも、手当てが十分にされない、薬もない状況だと悪化するのだ。
ある日、いつものように小学校で傷の手当てをしていたら、タクシーに乗せられた、足から大量出血している10歳くらいの男の子が私たちのもとに運ばれてきた。
どうしたのかというと、農作業中に誤って足を切ってしまったが、近くに病院もなくどうしようかと迷っていたところ、近所の方が私たちのことを教えてあげたらしく、ここに来たということであった。
私たちはとりあえず消毒と止血をしたが、傷が思ったより深かったため、病院に連れて行った。
農作業中に負傷しても、近くに病院がなく、すぐに手当てされなかったり、ただ布を巻いたり、そのまま我慢するということが普通であった。
私がなにより印象的だったのは、その男の子が泣き言一つ言わずに我慢していたことである。
これが彼らの日常なんだと衝撃を受けた。
また、現地の助産所や保健所の様子も知りたいと頼んだところ、週に1度程度は近くの助産所と保健所に行き、助産師さんたちと妊婦健診や乳幼児健診を行ったり、記録を手伝ったり、体重測定を手伝ったり、助産師さんたちによるお母さんたちへの栄養教育のアシスタントをしたりをさせて頂いた。
このように、公衆衛生プログラムでは、自分の手を通してケアをして、たくさんの子どもたちや方々と関わり合うことが出来る。
また、現地の方々だけではなく、世界中から同じ目的を持って集まったボランティアとも一緒に活動出来ることも、とても刺激になる。
途上国の医療について考えるなかで、こんな考え方もあるんだ、こんな方法もあるんだ、こんな思いもあるんだと、他のボランティアたちから学んだことは数知れない。
ガーナで出会ったボランティアたちとは今も連絡を取っていて、お互いに応援しあえる貴重な友人たちである。
看護・助産
次にCape Coastに移って、看護・助産プログラムに2ヶ月間参加した。
派遣先の病院は、Cape Coast Teaching Hospitalという病院で、ガーナでは大きな病院の一つで、設備もそろっている。
設備がそろっていると言っても、日本と比べると物品も十分ではなく、ベッドはカーテンもなくむき出しになって並べられている状況である。
活動内容としては、初日に自分が回りたい病棟を決めて、自分で病棟へ行き、ボランティアを始める。
私は「女性外科」「小児科」「NICU」「妊婦外来」でそれぞれ1週間ずつ学んだあとに、「産科病棟」で1ヶ月間実習することにした。
最初は何をしていいのか分からなくて、学生だからなにも出来ないと思っていた。
しかし、自分から看護師や助産師さんに声を掛けていく、積極的に手伝いをしていくことで、次第に認めてもらえるようになり、だんだん仕事を任されるようになった。
バイタルサイン測定をはじめ、傷の手当て、ベッドメイキング、配膳、沐浴、出産の手伝い、リハビリの手伝い、子どものあやし、授乳の手伝い、カルテ記入の手伝い、物品整理、ほかの病棟との連絡係など、出来ることは全部買って出て、やらせて頂いた。
夜勤にも積極的に参加して、たくさんの帝王切開に立ち会う機会も得ることが出来た。
自分から入っていけば快く迎え入れてくれ、たくさんのことを教えてくれるが、相手がなにかしてくれるのを待っていたら、なにも学ぶことは出来ない。
受け身でいたら、なにも始まらないことを感じた。
休日の過ごし方
休日は、ほかのボランティアたちとガーナ中を冒険した。
休みのたびにどこかへ出かけ、ついには隣の国であるブルキナファソまで行ってきた。
ホストファミリーや現地スタッフにおすすめの場所を聞いては、ガイドブックには載っていないような山を登ったり、川や滝に行ったり、ワニの上に座ったりをして、ガーナを満喫した。
事前に訪れたい場所に目星をつけていくこともいいが、出会ったボランティア達と話し合って決めていくのも、楽しいのではないかと思う。
これから
ガーナでの経験を通して途上国の現状を知り、将来は助産師として働きたいと思いが強くなった。
「女性」というだけで、苦しむ人々の存在を知ったからである。
11歳で結婚をさせられ12歳で母親になった少女、妊娠や出産により命を落とす女性、フィスチュラになり家族や社会から拒絶される女性、旦那に捨てられて働き方を知らないため物乞いしている女性、家の手伝いで学校にいけない少女、避妊できなくて妊娠し続け健康を害している女性。
そんな、女性に寄り添いたい、手を差し伸べられるようになりたいと思い、リプロダクティブヘルスの知識を身に着け、すべての年代の女性の性と生殖、健康を支えていけるような助産師になりたいと思う。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。