看護師になろうと思ったきっかけは、子供の頃から発展途上国での医療活動に参加したいという思いがあったからです。
看護師になって8年。
内科から救急看護まで経験し、年齢のことも考えると今しかないと思い、病院を辞め渡航を決めました。
国際協力について検索すると、様々なオーガナイゼーションがあり、条件も様々でした。自分がどこまで出来るか分からないし、英語力にも自信がなかったので、期間も自由に選べ、英語レッスンも受けられるプロジェクトアブロードに参加することにしました。
いつまで?短期間ではきっと何も出来ない、ただ見学するだけだろうと思い、予算も考慮した結果3ヶ月医療コース、2ヶ月パブリックヘルスコースに参加することにしました。
活動地はセブシティーからバスで3-4時間のボゴ市という所。
高いビルはないもののパブリックマーケットやスーパー、シティーにもあるようなカフェやレストランもあり、街中トライセクと呼ばれるバイクの横に荷台をつけた乗り物が走り回っている賑やかな街です。
現地民は本当に親切で、困っていると知らない人でもすぐに声をかけてくれます。
初めは言葉も分からないのにいきなり病院って大丈夫なのかな?!と不安でいっぱいでした。しかしスーパーバイザーは勿論のこと、病院のスタッフもとても親切で、いつも気遣って声をかけてくれたので安心して働くことが出来ました。
病院では、基本的には外来での血圧測定、予防接種や処置の介助を行いました。病棟でのバイタル測定、デリバリーや救命での処置があれば、そちらの見学やアシストもさせてもらいました。
外来では月曜と金曜が妊婦検診の日となっています。毎回60-80人の妊婦がチェックにやって来るので、血圧や体重測定でとても忙しいです。
月曜は20歳以下の妊婦検診の日となっており、そのほとんどがシングルマザーです。フィリピンでは、宗教上中絶は許されない行為。子だくさんの家庭も多く親は全ての子供の行動を監視するのが難しく、また最近では携帯電話の普及から容易に交流が出来るためこのような現状となっていると聞きました。
こちらの病院はボゴ市周辺では一番大きな病院ということもあり、私が想像していたよりも医療器具や滅菌グローブなどは揃っていました。
しかし、やはり日本と比べると機器は十分ではなく、挿管患者はもちろん重症患者は直ぐにセブシティーに送られます。
経済的な問題から、時には3-4時間の道のりを医者も看護師も同乗せず家族とドライバーのみで移動することもあると知り驚きました。
検査においても、経済上の理由から採血項目も限られており、X-Pも最低限、CTはセブシティーに行かないと出来ません。
私が日本の病院で働いていたころは、救急車で搬送された患者は採血→X-P→CTにて要因検索、状態の評価を行うのがルーティンでしたが、ここでは限られたデータしかないため、その最低限の情報をもとに経験や知識から状態をアセスメントして処置を行わないといけない、と現地の看護師が話してくれました。
病棟のベッドも保険を持っているかにもよるのですが、1つのベッドに2-3人の患者、そしてその赤ん坊や家族までもが一緒に寝ているのです。
外来や夜勤帯でさえも家族が一緒にいることは当たり前であり、トイレ介助なども家族が行っていました。
私が滞在していた時に5-6歳の男の子が救急搬送されてきた時のことです。
来院時よりSPO2:40%台、呼吸促拍。深呼吸を促してもSPO2の上昇見られず、酸素流量アップするも変わらず…。
酸素カヌラからマスクに変更することを提案するも、ここにはマスクはないと言われました。見る見るうちにチアノーゼが進行し、突如吐血。
ビニール袋いっぱいに吐血し、意識消失も見られたため挿管することになりました。その間も吐血は止まらず、エピネフリンの投与と心臓マッサージをすることになりました。
そのため心電図モニターを付けることを提案するもダメだと言われ、血圧測定をしようとするも小児用マンシェットがないため無理だと言われ、どうやって評価するのだろうと思いながらもとりあえず私は吸引介助をすることにしました。
後で聞くと、昇圧剤を投与した後の心拍再開の評価は聴診器で確認していると教えてもらいました。
結局その男の子は亡くなりましたが、挿管して回復したとしても、その後はセブシティーに送られるだろうし、その間家族しか同乗しないかもしれない。そうなった場合のリスクも高い…日本では当たり前だと思っていたことが現地では当たり前ではなく、きっと設備さえあれば救える命も残念な結果になってしまうことも多々あるだろう。
少年や家族にとってどうしてあげることが良かったのか…そもそも正解なんてあるのかと看護観について改めて振り返させられる事例でした。
後半の2か月はボゴ市の隣、SanRemigio市のヘルスセンターでお産介助やワクチン接種の手伝いをさせてもらいました。
SanRemigioには27のバランガイ(日本でいう村のようなもの)があります。バランガイによっては道の整備が不十分でバイクしか通ることが出来ない場所や山の上で電波もないような所もあります。そのためヘルスセンターに来ることは容易ではありません。
中には、ヘルスセンターに来るまでのトライセクの運賃代がないため受診できないというケースもあります。
そのような状況から、医師や看護師、助産師がバランガイホールに出向き定期的に診察やワクチン接種を行ったり、時にはメディカルミッション(メディカル、デンタル、オプティカルなどのブースがあり診察してもらえる健康イベント)が行われていました。そこでは、私たちは、受診前のバイタル測定をしたり、デンタルやオプティカルブースでの手伝いをさせてもらいました。
また、毎月健康に関するテーマが決まっており、それについてのイベントもありました。例えば、7月は「栄養」がテーマとなっており、バランガイで競うクッキングコンテストや健康妊婦コンテストが開催されました。ヘルスセンターのスタッフもダンスなど出し物をされており、一緒に参加させてもらうこともでき、とても楽しかったです。
また医師や看護師が常にバランガイホールに在住できないため、バランガイヘルスワーカー(BHW)がバランガイに住む人々の健康チェックなどを行います。私たちはBHWの活動にも参加しました。健康状態のスクリーニングチェックのための家庭訪問やバランガイでの健康教育やクッキングデモです。
食習慣から高血圧や高血糖が多いのですが、診断されるのが怖かったり、知識不足から多くの人は受診しません。そのためスクリーニングチェックが必要となるのです。
血圧200mmHgオーバー、血糖500オーバーでも病院に行っている間家を空けるのが怖いという理由で行かないという方もいれば、妊娠8-9か月でまだチェックアップに行っていないという方もいたり…必要性を伝えてもなかなか理解が得られないことが多く、スクリーニングの重要性をひしひしと感じました。
しかし中には「毎週血圧測定をしているけど、いつも高いのはなぜなの?血圧が高いからジュースも辞めたのに」と聞いてくる20代の男性もおり、食生活を聞くとハイカロリーやソルティーフードを食べている様子。「それが要因の一つだよ」と伝えると、「そうしてみる」と健康への意識が高い方もいました。
また血圧や血糖値の正常値も知らない方が多く、高血圧や糖尿病についてのティーチングも行いました。
フィリピンは1000を超える島々からなり、それぞれの言語もあります。国全体での教育パンフレットを制作してもなかなか理解が得られないのだそうです。そのため、健康への意識が低いことが多いのだそうです。
私は元々HIV/AIDs病棟にいたことからケースプレゼンテーションでそのテーマを取り上げたのですが、スタッフさえも十分な情報がないことから、陽性と診断された場合セブシティーに送られると聞きました。
クッキングデモにおいても、ヘルシーな料理の紹介はいくらでもできるが、実際にトライしてもらうには現在の食習慣と近いもの、かつ安価で出来るものである必要があります。例えば、小麦粉ではなくオートミールを使ったパンケーキなどです。一気に生活習慣を変えることは出来ないため、そういった少しずつ変化させていくことが重要だそうです。
本当に健康と言える生活習慣になるまでには地道な活動ですが、ティーチングの帰りに料理の材料を買ってくれている姿が見られたり、紹介した内容を数人でも取り入れてくれている姿が見られるとやってよかったと嬉しくなりました。
発展途上国で働きたい、ボランティアに参加したいと思っていましたが、20週間参加し、その国にはある資源が限られており、今までに確立された方法もあり、日本の技術や知識を少しでも伝えたいと思っていたけれどそれは自己満足なだけなのではないかと気づかされました。お互いの知識・技術をシェアしながら意見交換することで、お互いが少しでも良い方向に変わることが大事ではないかと思うようになりました。
また、現地のスタッフやホストファミリーはとてもフレンドリーでいつも、どこへ行っても「Hi Natsumi‼How are you? 」「Are you ok?」と声をかけてくれました。私が海外を好きになったのもこういったコミュニケーションが活発で暖かい人間性が好きだからです。
今回プロジェクトに参加したことで、その地にあった様々な活動方法を知り、その活動に参加することで現地住民との触れ合い方、その地にあった指導方法など学ぶことが出来ました。
日本の医療は進んでいるがそれを押し付けるだけの活動ではなく、現地にあった必要な情報を提供していくことが重要なのではないかと感じました。
また異国の地でも恐れず、積極的にコミュニケーションを図っていくことで現地民と有効な情報交換ができ、フレンドシップにつながっていくのだと思いました。
この経験を活かし、今後も国際的な活動に参加したいと思います。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。