国際開発の現場へ出たい
私は以前から国際開発学に興味があり、大学でも専攻ではないものの、国際開発関連の講義を多く履修していました。
専攻でないため大学では、学ぶことができる範囲が限られているため、大学卒業後、大学院進学を視野に入れています。
そんな大学2年生の夏休み後、「国際開発を学ぶ身として、現地に一度足を運び実態を観察・調査してみたい」、そう思い立ちました。
思い立ったのはいいものの、関心のある地域であったアフリカに初めて一人でいくには、大きな不安がありました。
そんななか、アフリカでボランティアやインターンシップの派遣を行なっている会社はないかとインターネットで検索してみたところ、ヒットしたのがプロジェクトアブロードでした。
様々な海外ボランティア派遣の会社を比較しましたが、運営実績や充実したサポート体制、活動期間や活動開始日を自由に選べるということでプロジェクトアブロードさんにお世話になろうと決めました。
また、実際に体験談を読み、活動後に国際開発分野で活躍されている方が多くいらっしゃったので、進学やキャリアにおいて私の考えとプロジェクトアブロードさんの方針が一致していたことも一つの決め手でした。
「教育」を通した開発支援を
国際開発といっても、開発で支援できる側面は実に多様です。
私は多岐にわたる開発支援の分野の中でも、「教育」に焦点を当てて研究したいと考えていました。
私は高校生の頃、TEDトークを見るのが趣味で、ある日、北朝鮮から脱北した女性が自身の壮絶な過去について英語でスピーチをし、私はそれに大きな感銘を受けました。
その時感じたことは、「英語を喋ることができれば、貧しい人々や辛い過去を辿ってきた人が自身の経験や実態を世界に発信することができる。そのためには英語と教養を身につけることが必要不可欠だ」そのように考え、教育開発を中心に大学では学びを進めていました。
だから私は、教育プログラムを選択しました。
加えて、なぜケニアという国を選んだのかというと、英語が国の公用語として使用されていたことと、2003年からケニアの小学校教育の無償化によって教師が不足しているという実態を知り、無償化によってどの程度の家庭水準の子どもたちが教育を受けられているのかを現地で確かめたかったからです。
また東アフリカに位置するということで、アフリカ大陸の中でも比較的日本から近いという点も考慮しました。
ボランティアとしての活動
私は3週間の滞在の中で、二つの活動先で教育プログラムに携わりました。
特に、1週目と帰国する前の3~4日間ほど活動したQueenstar Community Organizationというところは、私にとって一生大切にしたい、また帰りたいと思えるケニアでの私にとっての最高の居場所でした。
滞在先と活動先が徒歩5分程度だったので、歩いて毎朝9時前に活動先に行き、一時間ほど外で子供達と遊び、11時ごろから教室に入って英語や算数を教えました。
13時ごろまで休憩をとりながら、子どもたちが「やりたい!」といった教科を教えていました。
一応時間割というものが存在していましたが、日本のように時間に忠実でないので、毎日一つの教科にかける時間も異なっていました。
授業が終われば、子どもたちの食事の時間です。
食事が終われば、年上の子どもたちが食器を手で洗うので、一緒に腰を屈めながら洗いました。
このように、教育のプログラムでは、子どもと関わるのでチャイルドケアプログラムの側面も経験することができると思います。
この活動先では、2歳から12歳の約30人の子どもたちと出会いました。
彼らのバックグラウンドは、幼くして両親を無くした子、離婚によって母子家庭で育っている子、両親ともに病を患っている子など様々でしたが、彼らの共通点とは誰かの支援なしには最低限度の生活を保つことができない貧しい状況にあるということです。
そんな状況下にある子どもたちに対して、私の活動先では、食事や衣服の提供、また学びの場を与えていました。
教育とは、愛情を与えること
私のこの活動先での大きな役割は、愛情を与える、知ってもらうことであったと活動を振り返ってみて強く思います。
もちろん、教育プログラムに参加していたので英語をはじめ、算数や絵を描く授業も担当しましたが、それ以上に子どもたちに大きく与えてやれたのは愛情でした。
教育において重要なことは、なにも子どもたちに知識をあたえることではありません。
道徳的なことを教えることも非常に重要です。
道徳的に成長した大人になるためには、心に余裕を持つことや、愛情を知ることでしか達成できないと私は考えています。
しかし、彼らは心に余裕を持つことや、愛情を知ることが貧困状況や家庭環境から難しいと言えます。
そんななか、私は以下のような行動を心がけるようになりました。
私はもともと子どもと接することが好きではありませんでしたが、この活動先の子どもたちはとてもフレンドリーで活発で、私に興味を持ってくれました。
そんな彼らの思いを感じて、私は全く学習経験のなかったスワヒリ語をできるだけ使うようにしてコミュニケーションをとり、授業を行うようにしました。
すると次第により子どもたちが学ぶことに積極的になり、私と接することによって笑顔になってくれる機会が増えたように感じました。
日本とは全く異なるケニアの生活
ケニアでの生活は、日本での生活と大きく異なっていました。
まず、滞在先での話をしたいと思います。
予想はしていたことでしたが、20年間特に不自由もなく生活を送ってきた私にとって、驚きの連続でした。
到着して2日後にシャワーが浴びられなくなり、洗面器に貯められた水で体や髪の毛を流したことや、トイレを流す十分な水がなく、手動でバケツにくまれた水で流したことなど、発展した日本の生活との違いに戸惑い、不安になりました。
しかし、そのような不安を抱えながらも、非常に親切で暖かいホストファミリーのおかげでステイ先での思い出は良いものばかりです。
ホストマザーは毎日、夕食でケニアの伝統料理を振舞ってくれ、毎朝新鮮なフルーツとパンや卵を出してくれました。
海外での生活において、食事は非常にセンシティブな問題を抱えがちですが、私は3週間食事に対しての不満や問題など一切ありませんでした。
ホストファザーは活動終わりや休日に、お土産が買える場所やナニュキにあるショッピングモールに車で連れて行ってくれたりしました。
そのなかでも、家から車で30分くらいの動物の保護施設に連れて行ってもらったことは、サファリに行くお金がなかった私にとって<ケニアの動物を堪能できた非常に楽しい時間でした。
ステイ先には、14歳と4歳の二人の男の子がいました。
毎日活動が終わってから、ステイ先に帰ると子どもたちが私を待っていたかのように出迎えてくれ、毎日私が持ってきた日本のおもちゃで遊び、スマートフォンで映画を見たりしました。
このように、滞在先では家族の一員のように接していただいたおかげで、日本とは異なる生活環境を受け入れることができました。
特別心配なことを抱えず、ケニアの日常生活を経験できたことは、現地の人と私をより密接にかかわらせてくれた大きな要因の一つであると感じています。
より持続可能な発展を目指して
活動内容でも触れましたが、教育プログラムでは英語はほぼあてにならないということを痛感しました。
ケニアの公用語は英語とスワヒリ語ですが、子どもたちは日常的にスワヒリ語を話します。
現地の先生たちも、英語とスワヒリ語を交えて授業を行っています。
しかし私は活動を始めたばかりのころは、自己紹介もスワヒリ語ですることができなかったので、子どもたちとの距離の詰め方や、英語で説明しても彼らが理解できない部分を教えるのには大変苦労しました。
渡航する前は、ケニアでは英語が公用語として使われているのを知り、スワヒリ語が全く話すことができなくても問題なくやっていけると思っていましたが、それは大きな勘違いでした。
子どもたちの英語能力はまだ十分ではなく、授業中に答えがわかって、意見を言いたいにもかかわらず英語で表現できないため、授業に対して消極的になってしまう子どもがいることに気づきました。
解決策として、現地の先生の授業の様子を見学し、授業中によく使っているスワヒリ語のフレーズを耳で覚え、私も実際に自分の授業で現地の先生を真似てスワヒリ語をつかってみることにしました。
すると授業の雰囲気が以前より明るくなり、スワヒリ語で注意できるようになったおかげで彼らの集中力が上がりました。
このように、英語が母国語でない集団のなかで生活をし、なにかを成し遂げようとするためには現地語の習得が必要不可欠であることを学びました。
国際開発を学び、発展途上国での調査を行いたいと考えている私にとって、現地語の習得の必要性というものは盲点でした。
この課題に直面したことで、ケニアでの3週間を納得するものにしたかった私は、課題解決のために現地の先生の真似をすることで、スワヒリ語で授業を行うということを実践しました。
日本の教育実習のように、活動先の人に「これをやってほしい」など特に要望はされないので、自分で考えて行動することが大事だという考えから、できることはないかと試行錯誤しました。
国際開発を学び、キャリアとして国際開発学を強みにしたいと考えている私にとって、今回の経験はそのキャリア獲得のための大きなステップになったのではと思います。
反省を今後の強みに
しかしこれは、ケニアでの生活を終える前にも予想できていたことです。
活動を終えた今、キャリアに対する思いより大きな目標・義務を感じています。
なぜなら、日本人としてケニアを訪れたことにとても意味があることに気づかされたからです。
日本は今や世界を牽引する新興国ですが、第二次世界大戦後は現在のケニアよりもひどい状況であったと言えます。
しかし、日本はそのような状態から発展し、その発展の仕方はどの国の真似をしたわけでもない、自助努力によって達成されました。
この自助努力による達成が、私の目指す「発展途上国での持続可能な発展」を可能にしてくれると感じました。
残りの大学2年間の学びと、そのあとのキャリアや大学院進学においては、日本のようなケニア独自の発展の仕方で、ケニアで出会った子どもたちの生活環境をどうよくできるかについて研究や調査をしたいと思います。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。