初めてボランティアという道を選んだ
ボランティア活動をしてみたいと前々から思っており、実行するなら早いほうが良いと思って調べたところ、このプロジェクトアブロードの評判がよかったため選択しました。
今まではいずれも語学留学という形で先進国へ訪れたことはありますが、初めて発展途上国へボランティアと言う形で訪れることになります。
フィジーではどのような暮らしをしているのか、持ち物はこれで大丈夫なのか、どのような文化なのかなど、色々調べてみても実際行くと違う可能性もあったので、とても不安でした。
しかし、同時にボランティアへ参加することに対してとてもワクワクした気持ちもあり、楽しみでした。
子供の相手や授業をすることに対して緊張もしましたが、とても意欲関心を示せていたかと思います。
フィジーで取り組んだ日々
1日目は何もせず、着いてからホームステイ先の方々や、私よりも先にいたルームメイトなどと打ち解けることに必死でした。
ホストファミリーに村を案内してもらったり、一緒に折り紙をしたりしました。
2日目はオリエンテーションがあり、そこでこの村のルールなどを教えられました。
そして、街でスルというスカートの代わりに腰にます布を買いました!もともと配られたものもありましたが、一緒にボランティアに来た仲間達とお揃いで買いました。
夜には儀式のようなものをしました。その帰りに、夜はちょっとした崖から転落した人の助けが聞こえるようにするため、静かにしなくては行けないということをホストファミリーから学びました。
3日目は学校へ行き、壁や遊具にペンキで絵を書いたりデコレーションをし、夕方に子供と手遊びや椅子取りゲームなのどのアクティビティをしました。
その日常が続き、たまに映画を見に行ったり、休みの日には海へ行ってシュノーケリングなどをしたり、Bulaフェスティバルへ行ったりしました。
一番印象的だったのは、このBulaフェスティバルです。
綿あめやカラフルなポップコーンがあったり、いろいろな日用品を集めて売っていたりしました。
この中でもとても早く回るミニ観覧車のようなものや、たくさん回転し、逆さまにもなる乗り物は、とても酔いましたが楽しかったです。
でも、逆さまになったりする乗り物は安全バーがゆるくて、肩がすっぽり抜けれたので、命の危機を感じました(笑)
逆にいい体験をしたなと思いました。
帰る前日などは皆でパーティをし、伝統的な衣装をきて踊りました。カバという伝統的な飲み物なども飲みました。
価値観の違いの象徴だった生活
生活の様子で驚いたことは、ドアがずっと開けっ放しなことや、食事を床ですわって食べることや、シャワーの水がとても冷たかったことや、電気が少なく部屋が暗かったこと、街の中を歩くときは膝が隠れる長さのスカートではないといけないことなど、たくさんありました。
洗濯は手洗いですが、ホストマザーがやってくれたりしました。
私のところのホストファミリーは偏見があるようで、「日本で買った車だから日本人のあなたなら直せるでしょう?ちょっとみてくれない?」や、中国の友達にも、「ねえ、私のスマホ直してくれない?中国はスマホをたくさん作ってるからあなたも直せるでしょう?」などと言った、無理難題なお願い事をされてびっくりしましたが、かるく流しておきました。
言葉の壁を乗り越えた先で
フィジーの人たちは英語を喋れるのですが、日常生活会話は英語ではないので、まだ英語を喋れないような小さな子供とコミュニケーションをとるときはとても苦労しました。
英語で言っても伝わらないので、ジェスチャーをしたり、私が実際にそれをやってみたいなど様々な工夫をしました。
そのおかげで、こーゆー伝え方もあるんだと実感できました。
逆に子供から私に使えたいときに私がその言葉を理解できなかった場合は、とりあえず当てずっぽうで行動してみて、子供の様子を見るなど、いい経験を積むことができました。
私がフィジーで学んだこと
今回初めて発展途上国へ行かせてもらい、先進国との違いをとても思い知らされました。
まずは文化の点です。
文化の違いを学び、村には村の良いところがありました。
まず、先進国で家のドアを一日中開けっ放しという状況は想像すらできません。
ですが、フィジーではそれが可能でした。
空いていると村の子どもたちが入ってきて一緒に遊んだり、大人も入ってきて一緒にティータイムをしたりなど、想像を絶する暮らしでとてもびっくりしました。
また、村を歩いていると全く知らない人同士でも、遠くにいても大声でBulaと挨拶をしてくれます。小さい子どもなどは走ってきて抱きついてきます。
村を歩けば知らない私にも笑顔で挨拶したり、子供は飛びついてきたり、とても優しくて笑顔が溢れる村でした。
村全部が親戚でできていると聞き、日本では不可能なことがここでは出来るんだと学び憧れました。
とても新鮮な経験をさせていただきました。
次に技術についてです。
お風呂が水圧の弱いシャワーで、出てくるものがとても冷たい水だったり、家の中に電気がなくキャンプのときに持っていくような小さなランタン1つと、リビングに裸電球を1つといった、夜は暮らしにくいとても暗い生活でした。
車を運転するに当たっても、GPSがないので、カーナビを利用することができなかったり、スマホを持っていてもとても古い機種であったりなどでした。
そういった面で、先進国では当たり前に存在するものが、ここにはなかったのです。
日本はこんなにも贅沢をしているんだと初めて気付かされました。
今までは言葉でしか分からなく、分かりにくかったのですが、実際に行ってみると日本人はどれだけ楽をしているのかを痛感させられました。
暮らしをより便利にするのはとてもいいことですが、発展途上国を置いてけぼりで先進国だけが先々進んでいる状態を目の当たりにしてショックでした。
でも将来に役立つとてもいい勉強になりました。
これからのアクションプラン
このことにより、私は日本へ帰ってからSDGsについてもっともっと意欲関心を持てました。
住み続けられるまちづくりをするためには、先進国が発展途上国を助けることをもっと意識しないと行けないと思いました。私は日本に帰ってから今までは気に留めてなかった募金活動などに目を留めるようになりました。
こういう形でも、この小さな形でも発展途上国や困っている人たちを救えるのだと思うと貢献したくなるようになりました。
今はとりあえず、学校でSpred SDGs from Suito to Suminoeという、略してSSSSという団体を立ち上げて、SDGsを少しずつ広めていこうと考えています。
そのためにメンバー同士でワークショップを開いて、プランニングし、どうすれば認知度を上げれるかを考え、それが人手的に・法律的にできるのかを調べ、行動を開始したいと思っています。
とりあえずは、地域で広げることを目標にします。
最終的には、全国各地へ広めようと考えています。
それが私の目標です。
これから参加する高校生へ
きっと、たくさんのカルチャーショックを目の当たりにします。
不安になって家族に会いたい、家に帰りたいと思うこともあるかもしれません。
ですが、ここには一緒に現地に向かった仲間がいます。優しいホストファミリー達もいます。
時には、現地の人が何をしてるのか分からないこともあります。
ですが、それはあなたを思ってしてくれている事だと思います。
何事にも積極的に考え、行動すると少しずつ不安が取り除かれていくと思います。
それでも無理そうな時は、一緒に現地に向かった日本人もいます。
その人達は、あなたと同じ思いや苦労をしているかもしれません。
その仲間と一緒に壁を乗り越えてください。
しんどいこともあるけど、それよりも楽しい思い出のほうが大きいです!
新しい経験もたくさんできます!大事な仲間もできます!
ぜひ楽しんで!
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。