一度は諦めた海外経験を、今こそ
もともと、医療従事者を担うなら、日本だけでなく、海外の困っている人々にも手を差し伸べられるくらいの知識や技術を身に付けたいと漠然とした考えがありました。
私は助産師を目指すために大学進学し、仕事を辞めました。
以前の仕事では、救急救命士として日本の消防機関で救急隊として活動していました。
長期休暇取得は難しかったため、海外での活動経験を諦めていましたが、大学進学したことから、夏休み期間を利用して海外の医療を一度見てみようと思いました。
そこで出会ったのが、プロジェクトアブロードの助産プログラムでした。
実践型参加ボランティアということ、英語力に制限がないことから、このプログラムなら参加出来るかも!と高揚感に溢れたのを覚えています。
他の海外ボランティアとは異なり、学生でも参加出来ること、派遣期間を選択出来ること、英語力に制限がないこと、何より「実践型」というボランティア活動であることに惹かれ、申込を決めました。
タンザニア ✖ 助産プログラムへの参加動機
助産学生として大学で勉強するにあたり、発展途上国における周産期医療に興味があり、現地に行って肌で感じてみたいと思ったこと、医療資源が充分でない環境でどのようなヘルスケアを行っているのかを知りたかったこと、最も、海外の赤ちゃんやお母さんの分娩を観てみたい!と思ったためです。
タンザニアを選択した理由は、プロジェクト参加を決めたのが出国まで2ヶ月弱くらいであったため、予防接種等の必要性を考慮して選択しました。
助産インターンとしての日々の活動
私は、アルーシャ地域で一番大きなマウント・メル病院の産婦人科外来で、平日9時から14時まで活動に従事しました。
滞在期間は2週間でした。
主に妊婦さんの陣痛マッサージ、バイタルサイン測定、胎児心音聴診、分娩介助の手伝い、新生児ケアなどを実施しました。
この病院では、24時間で14~18人の出産があるということで、私は正常分娩のみ手伝うことが可能で、毎日一人は分娩に携わり、現地スタッフと共に活動することが出来ました。
空いている時間は、現地スタッフと談笑したり、ベッドメイキングや清掃をおこなったり、出産後のお母さんのところへ行き談笑したりしていました。
滞在中に一日、アウトリーチとしてアルーシャから車で1時間程のマサイ村へ医療資源を届ける活動も行ってきました。
同じ期間タンザニアに滞在している他国のボランティアと一緒に、マサイ村を訪問し、問診、バイタルサイン測定、必要な医療品を配布するなどを行いました。
タンザニアでの生活面
活動先病院から車で15分程の距離に位置する、モニカファミリーの元でホームステイさせて頂きました。
食事は3食、日本の食事するタイミングに合わせて用意して頂きました。
主に豆類、ウガリ、アボカド、鶏肉などをスパイスと共に煮込んだ物が多かったです。
100%スイカジュース、キリマンジャロコーヒーは毎日飲みました。
とても美味しかったです。
飲料水はホストファミリー宅にウォーターサーバーが完備されていたため、毎日補給して安全な飲み水を確保することが出来ました。
また、週末の夜は、ホストファミリーやその友達と飲みに出かけました。
門限時間ギリギリまで、楽しく現地の人々と交流を深めることが出来ました。
休日は、他のボランティアと1泊2日の小旅行企画がありました。
私は参加していませんが、コーヒー栽培の盛んな村へ行きコーヒーを試飲したり、登山をして自然のプールで泳いだりなどの企画でした。
私は代わりにアルーシャの街を散策して、お土産を買ったりしました。
たまたま街で出会ったタンザニア人は、一日私をガイドしてくれて良き友人となりました。
活動先病院までは、ダラダラという乗り合いバスを利用して毎日通いました。
15分程の時間で500tzsでした。
シャワーは、毎日浴びることが出来ました。
洗濯は手洗いでしたが、9月の気候は雨がほとんど降らなかったため、よく乾きました。
用意された部屋はベッドに蚊帳がついていて、快適に睡眠をとることが出来ました。
他にも、活動が終わった後、現地スタッフと軽くビールを飲みに行ったり、早く帰宅した日はホストの姪っ子と外で遊んだりしていました。
とにかくタンザニアの人々は皆温かく、愉快で、親切です。
どこに行っても、挨拶を交わしてくれます。
バーに居合わせた皆でサッカー観戦をして一緒に盛り上がることもあり、とても親交溢れる国民性だと思いました。
私はビール好きですが、サファリビールやキリマンジャロビールは乾いた地域に適したあっさりとした味わいで、とても気に入りました。
何不自由なく生活できたことは、ホストファミリーや街で出会った人々、沢山の友人達、プロジェクト現地スタッフ達のおかげでとても感謝しています。
タンザニアの医療現場を目の当たりにして
タンザニアの医療は、想像以上に過酷でした。
医療資源はとても少なく、十分な感染症対策が出来ず、成人するまでに命を落としてしまう子供が多い発展途上国の問題を目の当たりにし理解することが出来ました。
現地スタッフは皆、限りある資源の中で最大限医療に従事し、また各々の五感を活かした観察力は、資源に頼りすぎている私にとって原点を思い出すきっかけとなり圧倒されました。
大きく心を動かされたことは、彼らの学ぶ意欲でした。
限りある資源の中で医療を提供する際、私の知っているコツを一度教えたら感動したようで、もっと教えて欲しいといった姿勢が見られました。
魚が欲しいのではなく、魚の釣り方を教えて欲しいのだと気付かされました。
他にも、日本での医療について沢山質問され、私もタンザニアの医療について沢山質問させてもらい、情報交換も有意義なものとなりました。
出産を経たお母さん達は、長くても次の日には帰宅するそうです。
1週間後に健診することになっているそうですが、金銭的な問題や病院まで距離があるなどを理由に来ないお母さんや赤ちゃんは大勢いるそうです。
産後ケアの重要性をもっと広めて、問題を建設的に解決する方法があればなと、もどかしい気持ちにもなりました。
先進国の価値観を大きく覆され、ただ医療資源を充実させれば良いという浅はかな考えでいたことが恥ずかしくもなりました。
発展途上国の医療は彼らにとって当たり前の日常であることを前提とし、彼らの日常を尊重することが重要であり、その中で質の高い最大限の医療を提供するために、少しのコツや発想の転換を教えることや、子供を産み育てる女性達へ教育の提供をすることが、今後、発展途上国の医療が向上していくことに繋がる一部分ではないかと思っています。
明確になってきた、やるべきこと
タンザニアで活動した2週間は、私にとって医療活動の幅が広がりました。
十分な資源の中で行う医療、限りある資源の中で行う医療、それぞれにメリット、デメリットがあり、それぞれの閾値を知ることが出来たことはとても大きな学びとなりました。
先進国の日本であっても、自然災害が多く、いつどこに居ても医療が枯渇する状況に直面するかは分かりません。
どんな状況でも子供は誕生することから、安全な出産をお手伝い出来るように自身の学びを深めたいと思いました。
また、海外でもより深く実践的に活動してみたいとも思いました。
そのために、英会話力をもっと磨こうと思いました。
現地スタッフとは帰国後もSNSで交流し、私の良き英語の先生をしてくれています。
国境や環境関係なく、その場の資源を最大限に活かし安全なお産のためにベストを尽くせる助産師になって、日本だけでなく世界のヘルスケアに携わっていけるように努力しようと思っています。
学生という立場の間に経験できたことは、私にとって大きな財産となりました。
きっとまた、タンザニアを訪問して、もっと沢山の発見や学びに触れたいと思っています。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。