3年間想い続けた
私は冬休みの2週間を使って、一般のネパールチャイルドケアに参加しました。
たった2週間の間でしたが、この2週間でできた思い出は、計り知れないほど大きなものになりました。
私がプロジェクトアブロードのネパールチャイルドケアに参加すると決めたのは、なんと出発の一ヶ月前の事でした。
プロジェクトアブロードは、高校入学と同時にウェブサイトを通じて知り、ずっと参加をしたいと思っていました。
しかし、高校生活と両親の「高校生のうちは海外に行かせない」という反対もあり、私もプロジェクトアブロードに参加することを諦めて、高校三年生の11月…大学の進学先が決まり、私は再びプロジェクトアブロードに参加するか悩んでいました。
私の夢は将来、貧しい子供達に教育を与えることです。
ただ、本当にこの道で自分が生きていけるのか、この道で正しいのかといった不安もありました。
大学進学が決まり、どのような志で大学での勉学に励むべきなのか…その確固とした答えが欲しくて、私はもう一度両親にプロジェクトアブロードの参加への許可をもらうため交渉しました。
長い話し合いの末、比較的近隣の国で治安も良いネパールであれば2週間、行っても良いといった許可が出ました。
それからは大慌てで準備をしました。
行くと決めた時は一ヶ月前でしたので、パスポートの申請、プロジェクトの申し込み…その他諸々をプロジェクトアブロードのスタッフさんにも協力していただきながら準備を進めました。
通じ合う努力が開いた扉
私の活動先は、栄養失調の子供達が過ごすNRHという施設でした。
活動初日は、多くの事に戸惑いました。
まず、予想以上に子供達のお母さん方が英語を話せなかった事です。
私が行った時には、10組くらいの母親と子供が居たのですが、その中で英語を話せるのは2人でした。
そのため、私も母親達をどう助けたらサポートできるのか、子供達はいま何をして欲しいのか、など分からないことだらけでした。
そして、その日の夜、初日の反省を活かしてネパール語の勉強をしました。
簡単なコミュニケーションのネパール語から、施設で使えたら便利なネパール語まで必死で勉強しました。
そして、次の日覚えたてのネパール語を使い、コミュニケーションをとることが出来ました。
私がネパール語を話すと、どの母親も驚きながらとても喜んでくれました。
そのせいか、その日は朝から赤ちゃんにご飯を上げるのを手伝ったり、母親がご飯を食べている間、子供をあやしたり…と、昨日とは打って変わって仕事が増えました。
ただそのぶん、充実感と喜びも増えました。
子供達の服を洗うのを手伝ったり、ミルクを与えたり、英語の絵本を読んであげたり…時を重ねるにつれ、母親とも子供達とも本当に距離が縮まりました。
最終日には、「Japanese didi (姉)帰らないで」と皆から言われました。
そして、母親達は私にネパールでの名前も考えてくれました。
最後の時、悲しくて寂しくて泣いていると、子供達と母親達皆が、また戻ってくるでしょ?といって慰めてくれました。
そして、帰る時には私の姿が見えなくなるまで、皆で手を振って見送ってくれました。
初日は、何をすればいいのか分からなかった私ですが、ネパール語を本当に少し話せるようになっただけで、ボランティアの質が大きく変わりました。
もちろん、伝わらないことはジェスチャーでも十分ですが、皆さんも是非現地の言語を少しでも喋れるようになってみてください。
ずいぶんとコミュニケーションが変わってきます。
ネパール語の力
ネパール語を話せて、特したことが他にもたくさんありました。
一つは、週末の休日です。私は2週間の活動でしたので、休みが3日しかありませんでした。
その休みを使い、1周目の休日はプロジェクトアブロードの企画するポカラ旅行に参加しました。この旅行は本当に素敵な思い出を私にくれました。
そして、現地ではたくさんのネパール人の友達も出来ました。
友達ができた理由として、やはり少し私がネパール語を話せたので、それがきっかけになったと思います。
人生初のパラグライダーでは、その時できたネパール人の友達と怖い怖い言いながらも、とても楽しんで飛びました。
飛ぶ前は怖かったけど、飛んだ後は本当に景色も綺麗で、とても楽しかったです。
フェア湖散策や、stupa、チベット難民村など私の行きたかったところも含めて、ガイドさんをつけてくれ一日中探索することができました。
本当にいい経験になるし、思い出作り、リフレッシュにもなるので、私はプロジェクトアブロードの週末旅行に出かけることをお勧めします。
そして、最後の残り一日の休日では、タメルの方へ一人で旅行しました。
そこでも、ネパール語が話せるおかげで、店主さんにお茶をご馳走してもらったり、物を安く売ってくれたり…と少しですがサービスをしてもらいました。
私からのアドバイスとしては、ボランティアの質の向上、また現地の人の文化や暮らしを知るには現地の人と話すのが一番ですので、ネパール語をベーシックな物だけでいいので、話せるようになって行く事をお勧めします。
等身大のネパール生活
ネパールでの生活についてですが、多少は日本と違って不便なことももちろんあります。
しかし、食事は美味しく、寝室も綺麗な部屋をどのホストファミリー宅でも提供してくれることと思います。
不便な事といえば、冷たいシャワーや洗濯が手洗い、暖房器具がない…といったことぐらいですが、私はこれらの経験もまたいい経験になりました。
普段の日本での暮らしがいかに恵まれているのかを気付かされます。
目覚ましは鶏の鳴き声だったりして、少し前の日本のような感覚で暮らせるのも新鮮なことでした。
ネパールに行ったからこそ見えてきた世界
そして、私はこのプログラムを通して、他にも様々なことに気付かされました。
まずは、日本と異なる異文化についてです。
宗教もそうだし生活習慣もそうだし、挙げだしたらきりがありませんが…もしあなたがネパールへ行くとするならば、一瞬一瞬発見と驚きの連続になるだろうと思います。
その一瞬一瞬の光景や経験は、きっと貴方の知識になるはずです。
私はローカルな人達と話すのが好きなので、お店や道を歩くたびいろいろな人と話しました。
それぞれの人が、仏教やヒンドュー教など信じる物が違いながらも互いを尊重し合っており、私は様々な事をネパールの方から教わりました。
それと、もう一つの気づきは私の英会話能力です。
私がプロジェクトアブロードをお勧めする理由は、手堅いサポートやボランティア精神が素晴らしいからだけではありません。
イギリス生まれの大きな団体だからか、多国籍の方々がボランティアには参加しておられました。
皆さん、母国語のように英語を話せるので、私はまずそこで自身の英語力に気付かされました。
また2週間、英語圏の方々と話すことにより必然的にリスニング、スピーキング力は上がります。
私の英語力はというと、本当に高校生レベルの英語力だったのですが…他のボランティアの方々は本当に優しく、私の下手な英語でも一生懸命に聞いてくれ、会話をしてくれました。
ですので、ぜひ私は英語が使えない日本の方にも恐れず、プログラムに参加してもらいたいと思います!
きっとプログラムに参加することで、自身の英語力をあげることもできるはずです。
まさかのハプニング
私は、保険をプロジェクトアブロードを通じてかけてもらっていたのですが、…まさかの帰国日、飛行機の中で大熱がでました。
しかし、活動を終わるとともに保険はかからない事になっていたので…そのまま9度近い熱のままカトマンズから、クアラルンプールに降りる事に。
そして、空港で8時間のトランジェット…その後、香港まで6時間の飛行時間の末、香港で22時間のトランジェット…その後飛行機ので4時間かけて帰国しました。
9度近い熱の中、保険をかけてもらっている日を確認したら、活動日最終日までで、きちんと帰国日まで保険をかけていることを確認しなかった私の不注意なのですが、本当に気をつけたほうがいいです。
私自身、体調をあまり崩す方ではないのですが…ひどい頭痛と吐気、大熱の中、保険がないので誰にもしんどいとも伝えられないまま、必死に我慢して帰国するのは地獄みたいでした。
そして、回復まで1週間かかりました。
皆さんも注意してください!何があるか分かりません。
今後への意気込み
本当に最後になりますが…私はたった2週間という短い間でしたが、人間的にも、英語力も…全てにおいて成長できたと思います。
私はこれから、国際関係の道に進んでいこうと思っています。
この経験のおかげで、将来貧しい子供達のために働くといった夢の基盤を自信を持って固めることができました。
まだまだ学ばなければいけないことがある大学新一年生になる私ですが、この経験を胸に、どんなことがあっても夢への道を諦めず進んでいこうと思います。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。