一生忘れない最高の1ヶ月
自分のやりたいことに挑戦できる高校2年生の夏に、興味ある教育の観点で何かボランティアに参加したいと思い、高校1年生の夏からそのようなプログラムを調べていました。
高校の授業の一環で、私はネパールの貧困と教育問題についての論文を書いていて、理解を深めるためにも実際にネパールの教育現場を自分の目で見てみたいと思い、ボランティアに参加しようと決めました。
また、私は子供が大好きなので子供と関われる、プロジェクトアブロードのチャイルドケアのプログラムを見つけることが出来ました!!
楽しみ!!!と言う気持ちしかなくて別に英語がペラペラというわけでもないのに不安な気持ちは一切なく、フライトが近づくにつれてやっといける!!という気持ちでいっぱいでした。
私は、6月の26日-7月の23日に1ヶ月ネパールに滞在しました。
2週間行くなら3週間、3週間行くなら4週間行きたい!という考えで、夏休み直前の学校を1ヶ月欠席して(日本の夏休み中に4週間コースがなかったので)、参加しました。
なので、日本人含め、アジア人は4週間ずっと私だけでした。
私が4週間滞在してる間は、最初の2週間と後半の2週間でコースがあったので、多くの子達と出会うことができました!
4週間のコースに申し込んでいたのは私だけで、他に3週間のコースに申し込んでいた子達が3人いました。
基本的に前半の2週間で行った事を後半の2週間でも違う学校で同じ事をしました。
最初の2週間は私を含めて13人いました。
そして私と二人のオーストラリアの女の子、二人のスペインの男の子以外はフランス語を話すことができていました。
しかしオーストラリアの子たちは友達同士、スペインの2人も同様に友達同士で来ていました。
また、ほとんどの子がフランス語を話していたので、コミュニケーションもまともに取ることができず、一人であることが多かったです。
そんな中で悔しい思いをしている自分がいました。
前半の2週間は思うように活動できませんでした。
前半の2週間を振り返って自分がもっとアクティブにならないといけない!!!と思ったので、後半2週間は積極的に行動することにしました。
後半の2週間は私を含め15人いました。前半に比べると友達同士できている子達が少なく、半分くらいは1人で来ている子達でした。
そのうちイタリア人の女の子とは、ネパールに行く前からプロジェクトアブロードのfacebookを通してやりとりをしていたので、ネパールで会えた時は抱きついてしまいました!!笑
私は後半の2週間を通して、フランス、ルクセンブルク、イタリアから来た3人の女の子達と仲良くなることが出来ました。
3人ともフランス語を話せるのですが、フランス語が話せない私のために流暢な英語で話してくれ、部屋でケーキを食べたり、ショッピングを楽しんだり、学校で一緒のグループになって活動したり、カードゲームをしたり、最終日には全員で泣いてハグをするほど仲良くなることが出来ました。
別れの際、フランス人の子がフランス語で「あなたは星のように輝いていて、いつも皆を笑顔にしてくれます」と言ってくれて、とても嬉しかったです。
前半2週間を過ごした時は友達ができないまま帰ることになるのかぁ〜…と悲しんでいましたが、後半2週間でそんな不安も吹き飛ぶほど素敵な友達に出会うことが出来ました☺︎
滞在先について
International Guest Houseのスタッフはプロジェクトアブロードのスタッフのように、とてもフレンドリーで優しい方達ばかりでした。
夜に、一緒にカードゲームで遊んだりもしました。
また、フロントスタッフが夜までいてくれるのでセキュリティーも安心でした。
日中は門の横に人が立っていたり夜は番犬が2匹いたりなど、安全面は守られていたので安心して寝ることができました。
部屋のクリーニングも毎日やっていただき清潔に保つことができました。
しかし、ご飯のメニューが3パターンほどしかなかったのが少し辛かったです。笑
それとホテルのWi-Fiが弱かったです。
私は4週間のコースだったので50 GBを購入しました。
データ量に余裕があったので、Wi-Fiを使っていませんでしたが他のメンバーは少し困っていました。
部屋については、私はほとんど1人部屋でした。
キングサイズのベットにトイレ、シャワー付きの大きな部屋でした!
私以外1人部屋の子がいなかったので、4週間滞在するのが私だけだったのが関係していると思います。
あとは友達同士で来ていた子達がほとんどだったので、その子達はみんな同じ部屋でした。
最初と最後の方だけルームシェアをしましたが、一緒にゲームをしたり、夜遅くまでお話ししたりして楽しい時間を過ごせました。
シャワーを使うときは数分水を出さないとお湯が出ません。
最後の1週間はなぜか全くお湯が出なくて大変でした。
毎日、1Lのお水ボトルを貰っていて、基本的に行動する時は各自が一本ずつ持っていました。
お水ボトル以外の水は飲んではいけないと言われていたので、歯磨きをするときや顔を洗う時でさえも、支給されたペットボトルのお水を使っていました。
1人何本という限度はなく、みんなは大体1日2-3本貰っていました。
冷えているのでもちろん飲み水として使ってもいいし、手を洗ったりするのにも使っていました。
また、週に2回ほど外食をしました。
ここはネパールなんだろうか…?と思うほどヨーロッパを感じさせるレストランや、ネパールの伝統的な踊りを見ながら伝統的なご飯を食べれるレストランに行ったりなど、美味しいご飯を食べることが出来ました。
私は辛いのが苦手で、注文をするたびに「no spicy please」と言っていましたが、100%の確率で激辛でした。笑
ネパール人にとっては辛くないのかもしれませんが、私にとっては激辛でした。
飲み物やデザートを自分で買う場合はプラスで払いますが、それ以外は自分でお金を出す事はありませんでした。
他にも、ヨガをしたり、モモを作って食べたり、ホテルの近くのカフェに行ったり、有名なお寺や観光名所にも行きました。
暇な日が1日もなく、とっても充実した日々を過ごすことができました。
3つの学校での思い出
私は4週間コースだった為、3つの異なる学校に行くことができました。
ネパールの学校はnurseryから高校入学までの子供が全て同じ学校に通っています。
そのため生徒数も多く、12クラスほどありました。
入学のタイミングがそれぞれ異なっていたので、1つのクラスに6歳の子もいれば9歳の子もいるなど、年齢がバラバラでした。
私が行った3つのそれぞれの学校でさまざまな特徴がありました。
最初の2週間訪れた学校は私にとってネパールで最初に行った学校だったので、何もかも新鮮でとっても楽しかったです。
学校に着くと何十人もの子供達がノートとペンを差し出して、「名前を書いて!」と言われました。
一躍有名人になった気分でした。笑
私を韓国人だと思っていた子供達がほとんどで、多くの女の子達に「BTSは好きですか?」と聞かれました。
子供達は意外にもTikTokをよく撮影しているらしく、ネパールの女の子達の間ではBTSをはじめとする韓国アイドルが流行しているらしいです。
私が、日本人だと伝えるとドラゴンボール、ナルト、ワンピースなどのアニメについて聞かれました。
学校に滞在している時はhow to save the world やbad influence of junk food、歯の磨き方や手の洗い方を子供たちに教えました。
自分たちでグループになって、授業の内容を考え、ポスターを作成したり、子供達と一緒に作品を作ったりしました。
他の子達と比べると英語力が劣っている私を気遣って、オーストラリア人の女の子2人が沢山サポートしてくれました。
彼女達もフランス語が話せなかったので、仲良くなることが出来ました。
これらの活動の中で必要な資材をスタッフに言ったらすぐに準備してくれました。
子供達は熱心に取り組んでくれて、とてもやりがいを感じました。
授業以外では、学校の掃除やペンキ塗り、日本語を教えたり、折り紙を折ったり、絵を描いたりして遊んでいました。
この学校では、私と近い15.16歳の子達と仲良くなりました。
一緒にバスケをしたり、紙飛行機で対決したり、卓球をしたり、日本語とネパール語を教えあったりして、友達になることが出来ました!!!
そして、1番印象に残っているのは学校の屋根に、上にいる工事のおじさんが石を投げていたことです。
屋根も頑丈ではないし、子供達が沢山いるので私は怖かったです。
しかし、それが日常なのか、学校の子供達は気にもせず遊んでいました。(学校の先生とおじさんはずっと言い合いをしていました。割と怖かったです笑)
このように、日本では絶対に起こらない様なことも経験することが出来ました。笑
2つ目の学校は公立の学校だったので、人数が少なく生徒一人一人がのびのびと過ごしていました。
この学校には2日間しか滞在できなかったので、子供達とあまり関わることはできませんでした。
しかし、先生方とお話しする機会があり、ネパールの教育実態について沢山質問することが出来ました。
人数が少ない学校だったので、上の年齢の子達が小さい子供達の面倒を見てあげていたりしていて、ほっこりする場面がたくさんありました☺︎
3つ目の学校は後半の2週間、滞在しました。
私が1番思い出を作ることが出来た学校でもあります。(活動内容は最初の学校と同じなので省略させていただきます)
雰囲気が他の学校と異なって賑やかで、先生も子供達もフレンドリーでとっても優しかったです。
学校に着くと爆音で音楽が流れていて、先生も含め全員で踊っていました。
初日から子供達と一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、写真を撮ったりして、すぐに距離を縮めることができました。
2日目からは色んなところから「まゆこ!」「リリー!」(リリというのは、ネパール語で"お姉ちゃん"という意味です。)と聞こえてきて、とっても嬉しかったです。
アジア人が私しかいなかったのが理由なのかわかりませんが、子供たちは私のことをすぐに覚えてくれて、体が何個あっても足りないくらい遊ぼう遊ぼうと子供達に言われました。笑
この学校には、nurseryのクラスがありました。
私は1-3歳くらいの子供たちとよくいることが多く、ネパール語もあまり話せないような子達だったので、コミュニケーションがとても難しかったのですが、日本から持っていったゲームなどを通して子どもたちと仲を深めることができました。
子供たちがすごく私と仲良くしてくれて、学校に着くと教室から出て手を振ってくれていました。
他には、10歳くらいの子たちが集まっているクラスにもよく行きました。
みんなで折り紙をしたり、日本から持っていった白紙のカルタ(そこに英単語を書いて英語の勉強をしながら遊んでいました。)で遊んだり、一緒に環境問題のポスターを作成したり、ネパールの手遊びを一緒にしたりして遊んでいました。
一緒に鶴を作ったのですが、次の日学校に行くと、私が作っていた鶴が教室の上から垂れ下がっていていました。
みんなは、「これみて!ここにずっと飾っておくね!」と満面の笑みで言ってくれました。
ほんとに嬉しかったです!!!
最終日にはみんなで号泣してお別れを告げました。
あいにくの雨でしたが子供達は誰1人傘をささないでバスまで駆け寄ってくれました。
ネパールに戻った時は必ず彼らにまた会いに行きます!
ネパール散策
1週目の週末にポカラ、2週目の週末にチトワンに行きました。
ポカラには片道約9時間、チトワンには片道約6時間かけて向かいました。
車内ではフランス人の子達が音楽をかけて大熱唱していたので、寝る事は出来ませんでした。笑
また、道路も整備されていないのでずっとジェットコースター状態でした。
なのに、現地スタッフはそんな状況でもずっと読書をしていて笑ってしまいました。
ポカラはネパールの中でも有名な観光地です。
なので外国人が沢山いました。
実際、カトマンズでは1人も出会わなかったのに、私がポカラで滞在したホテルで日本人の方とお会いすることができました。
カトマンズと比べると本当に静かで、川もとっても綺麗で、自然いっぱいの街でした。
2泊3日でしたが、実際ずっと活動できたのは2日目だけだったので、割とハードスケジュールでした。
1日目は到着してホテルの周りを散策して夜ご飯を食べて終了しました。
その日の夜は雷と大雨でまったく寝ることができず、2日目は体力的にしんどかったです。笑
2日目は3箇所の観光地に行きました。
全長300mくらいの吊り橋を渡ったり、(下を見たら足がすくんでしまいます。本当に恐怖でした。)日本人のお坊さんが建てた神社に行ったり(日本人なので、漢字を沢山読まされました。笑)、レイクサイドを歩いてネパールの自然を全身で感じました。
2日目の夜中に、スタッフ2人とホテルの屋上で、満点の星空を見ました。
3人でいろんな話をして、ずっとネパールにいれたらいいのになぁと思いました。
3日目は綺麗な滝を見て、帰りました。
行きは大丈夫だったのに、なぜか帰りになってバスのエアコンが故障してしまい、バスの中は相当暑かったです。
なので、ハンディーファンがとっても役に立ちました。
これもまた一つの思い出です!!!
2週目と3週目の週末に行ったチトワンは、ポカラよりは観光地という感じはしませんでしたが、チトワン国立公園がとっても有名な場所です。
チトワンにはスタッフと、私と、3週間のコースに申し込んでいたフランス人の3人の女の子と5人で行きました。
行きも帰りもフランス語の音楽がずっと流れていて、少し歌えるようになってしまいました。笑
ホテルに到着すると、オーナーが歓迎してくれました。
エアコンも完備されて、リゾートのように自然がいっぱいで、セキュリティーも安心の素敵なホテルでした。
1日目は到着してから大きな川に行き、夕日を見ました。
行く途中にゾウやサイがいて、びっくりしてしまいました。
2日目は、チトワン国立公園に行きました!約1時間、車に乗って(普通の車ではなく屋根がない動物達を間近で見れるような車でした)国立公園の中を駆け巡りました。
途中で雨が降ってしまい、とっても寒かったのですが、沢山の珍しい動物を間近でみることができ、一生の思い出になりました。
その後は、チトワンの先住民族の伝統的なダンスを鑑賞したり、トラックの荷台に乗って歌いながら暴走しました。笑
3日目は2日目に見た先住民族のミュージアムに行き、ネパールの歴史も学ぶことができました。
ポカラもチトワンも、自然がいっぱいで、絶対にまたここに来よう!と思えるような、そんな素敵な場所でした☺︎
後半の2週間の子たちがポカラに行っている間は(2回目になるけどポカラ行ってもいいよと言われていましたが、カトマンズ周辺を散策したかったので私は残る事にしました。)スタッフ、ガイドさん、私という超贅沢なメンバーでGaddi Baithakや、その周辺にあるクマリの家(実際にクマリを見ることもできました!!)やローカルマーケットで買い物ができました。
ネパールに興味を持ったのがクマリだったので、そのクマリを拝むことができて、とっても嬉しかったです。
相当運が良かったみたいで、ガイドさんもスタッフさんも、クマリに会えたことを他のネパールの人に自慢していました。そんな機会滅多にないので、とってもラッキーでした!!
みんながいないこの2日間だけはイギリスから団体で来てた方達と一緒に学校に行っていました。
教師3人、生徒21人の団体+私のような感じだったので孤立感はすごかったですが、みんな優しく(イギリス英語には苦戦しましたが、、、笑)子供たちとすぐに仲良くなれることができたので問題なかったです。
ネパールのリアル
沢山の人がいる狭い道をバイクと車がものすごい勢いで走っていました。
スタッフによるとネパールの人々は親から車の運転方法を教えてもらうそうで、それなりに運転も荒かったです。
ホテルから近いローカルマーケットでよく買い物をしていましたが、バイクと車のクラクション音が永遠に鳴り響いています。笑
夜になってもクラクションの音は止まりませんでした。
最後の方には音にも運転の荒さにも慣れてしまったほどです。
自動車のスレスレを歩くようなスリル満点のネパールでした。
街を歩いていると、『マリファナやらない?』と何度か声をかけられたり、薬物やアルコールに依存してそうな人を何人も見かけました。
(ホテルの外から出る時は、必ずスタッフがついてきてくれるので安心してください。)
お寺に行くと、綺麗な景色が広がっていたけれど、実はお寺周辺に生えている緑は全部マリファナだよと教えられました。
親に捨てられた子供、お父さんによって殺されたお母さんの死体と共に発見されて保護された女の子、学校に行けずに働く子供たち、観光名所で横になり生きているのか亡くなっているのかも定かではないおじいさん達、私の膝に手を置いて「この水を買ってください」と頼み込んできたおばあさんに話しかけられたこともありました。
生きるために物乞いをするしかない、という必死な姿を見て、考えさせられるものがありました。
ポカラやチトワンでは、人は住んでいるのに、インターネットがない、道路が全く整備されていない、痩せ細ったご老人が危険な道路の端で空き缶を集めてお金にしていることなど、首都カトマンズでは見ることができないネパールの地域格差を目の当たりにしました。
また、2015年に発生したネパール大地震の影響で崩壊した建物がいまだに数多くある事を発見しました。
現地の人によると、復興作業は歴史的な観光名所や、お寺などが優先されているため、まだまだ沢山の学校や家やお店が崩壊したままの状態となっているそうです。
さらに衝撃的なことは、壁もない状態の崩壊した建物に人が住んでいるということでした。
お金がないため新しい家を建てることが出来ずそのまま壊れた家に住んでいるそうです。
近くに大きな川があったがそこでは人が体を洗っている光景をよく見ました。
まだまだ復興作業が行われていない様子を目の当たりにしました。
私はこれまで発展途上国に行ったことが無かったため、事前調べをして実際にこのような事が開発途上国では頻繁に起こる事とは分かっていましたが、発展途上国の中でも、貧富の差を目の当たりにして実際に自分の目で見て体験すると悲しさと衝撃的な気持ちが止まりませんでした。
そして同時に、自分にはどうすることもできなかった悔しさと申し訳なさ、また自分には何が出来るのだろうかと改めて考えさせられました。
大変だった事
他のメンバーは英語はもちろんペラペラで、フランス語しか聞こえない時もあったりして本当に辛かった時もありました。
1ヶ月間で、言語の壁が1番大変でした。そんな中でも自分から他の子に話しかけたり、高校1年生の時に1年間フランス語を学んでいたので、簡単な自己紹介をフランス語でしてみたり、グループ活動の時に案を出したりする事で友達がどんどん増えました。
それでも、自分の気持ちを全て話したり、会話に入れない事もありました。
また、私はアメリカ英語しか学んでいなかったのでイギリス英語が他の言語に聞こえてしまうほど全く聞き取れませんでした。
なので何回も聞き返してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
でも、どんな壁にぶち当たっても、異国の地に1人で来たからにはとにかく自分らしく楽しむ、そして積極的に行動する事が大切だと思います。
ジェスチャーや翻訳機を使ってでもいいので、沢山コミュニケーションを取ることが大切だと思います!
辛い時は友達と電話をして楽になっていました。
私は日本から一眼レフを持って行ったのですが、みんなに撮って撮って!と言われ、素敵な写真をたくさん撮れました。
私が撮った写真を褒めてくれたり、一緒に撮ろうと言ってくれたり、カメラが距離を縮めてくれました。
また、ホテルにエアコンがなくて暑くて大変だったのも思い出です。
日本からハンディーファンや汗拭きシート、シーブリーズなどを持って行っていたので、暑い時はそれを使っていました。
ネパールの人に「これはなんだ!?」と驚かれ、みんな気に入ってくれました。
なんと、変なのを食べたor口に入ったシャワーの水で帰国前日に熱を出し、帰国して病院に行ったら胃腸炎と診断されました。
ネパールから帰ってきて夏休みを満喫しようとしましたが、2週間ほど胃腸炎で苦しんでいました...笑
最後まで大変でしたが、それもまた一つの良い思い出です。
これは余談ですが、未成年でもタバコを吸える国があるので、他のボランティアの子達はよく屋上でタバコを吸っていました。
私はタバコの匂いが苦手なので、少し大変でした。
あとは、本当に集合時間に人が集まらない事にも驚きました。
海外では、日本ほど時間にルーズではないと知っていましたが、流石に集合時間に起きてくる子達や、ご飯をのんびりと食べている子達がいてびっくりしました。笑
ホテルを出るのが1時間ほど遅れる事もありましたし、10分遅刻は当たり前でした。
これも文化の違いだなぁと実感しました。
そんな大変な1ヶ月を乗り越えられたのは、現地スタッフのおかげでもあります。
最初の方はあまり馴染むことが出来なかった私を気遣って一緒に行動してくれたり、よくご飯を一緒に食べてくれたり、バスに隣で座ってくれたり、相談に乗ってくれたりしました。
風邪をひいた時はとっても心配してくれて、体温計を持ってきてくれたりスポーツドリンクのような物を作ってくれたり、対応も早かったので本当に助かりました。
両親のように親身にサポートしてくれたネパールの現地スタッフには感謝しかありません。
ネパールに行かなければ学べなかった事
自分がどれだけ恵まれてる環境にいるのかを痛感した1ヶ月でした。
蛇口をひねると温かいシャワーを浴びれる事、学校に行けること、毎日美味しいご飯を食べていること、電気があること、トイレットペーパーがどこにもあること、水道水が飲めること、エアコンがあることなど、私にとっての当たり前は、日本を出ると決して当たり前ではない事を学びました。
そして、そんな素晴らしい国、日本で過ごせている事がどれだけ有難い事だったのかを改めて感じることができました。
帰国して約1年が経ちますが、今だにネパールやネパールのスタッフや他のボランティアの子達が恋しいです。
動画や写真もよく見返しています。
けど今でも、超頻繁に連絡はとっていますし、電話もします。
スタッフ達には、早くネパールに戻っておいで〜と言われています!笑
子供達にまた会いたいし、ネパールの美しい景色をもう一度眺めたいので、出来る限り早く戻りたいと思っています☺︎
来年の夏にはパリに行って、仲良くなった3人の女の子たちと会う予定です。
素敵な出会いを作ってくれたプロジェクトアブロードさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、ネパールでの1ヶ月を通して、将来自分のやりたい事が明確になりました。
今までの人生で一番濃い1ヶ月になりました。
語りきれないほどの素晴らしい経験をありがとうございました。
またボランティアに参加する際は、絶対にプロジェクトアブロードさんを利用させていただきます!
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。