途上国で教育ボランティアに携わりたい
途上国で、できれば義務教育範囲の教育関係のボランティアを行いたいと思い、インターネットで探していました。
というのも、海外の大学院で開発教育学というものをしたいと思っているからです。
検索していた条件としては3つです。
途上国で義務教育範囲(それより手前は許容範囲)のボランティアに関われること。
アルバイトや金銭的な面で長期間は参加できないことがわかっていたので、2−3週間、ということ。
その中でも、個人的にはアフリカ大陸に行きたい、という気持ちがあり、できればぐらい気持ちで地理条件を加えて検索をしていました。
初めに検索にProject Abroadが出てきたときには、こんなにも自分の狭い条件に合うものがあるのか、と驚いたことを覚えています。
ちなみにその次に取った行動は飛行機の値段を調べることでした。
この時点ではまだ参加すると決めたわけではなく、シンプルに参加費用とは別で移動にいくらかかるのか、というところを知るためです。
往復20万円(だいたい40万前後のチケットが多め)のチケットを見つけた時にはちょっと気持ちが参加方面にぐらついたことは否めません。
情熱が導いたタンザニア
最初に無料相談に乗っていただきました。
一体総額でいくらかかるのか、というところと治安的な面でです。
日常生活を送る上で健康上一切問題はないのですが、血液型が少々特殊で輸血時には適合血液を探す必要がある、という点で治安(と医療設備面)は重視していました。
この時点では他にも東南アジア方面で別のプログラムも見つけていたので、比較の意味も込めていました。
たまたま相談に乗っていただいた方がタンザニアに数ヶ月渡航されていた、ということで話が盛り上がりました。
もとよりアフリカにいってみたい、という気持ちがあったので最終的にはそこのパッションと、無理をすればなんとか2週間いける、という金銭的な面が決め手です。
教育への揺るぎない気持ち
最初から、Project Abroadで行くならケニアかタンザニアのeducation、と決めていました。
先に述べた通り、義務教育に興味があったので、義務教育に進む前段階であるpre-schoolに行かせてもらう、というのは許容範囲でした。
あとは最初に相談をのっていただいた方がタンザニアに渡航されており、情報をいただくことができたこと。
また、英語が通じない場合がある、という点と経済発展的な面ではまだタンザニアの方が遅れをとっているという点で魅力を感じ、決定しました。
語弊を生みそうなので付け足すのですが、どのような条件であっても一定レベルの教育を、ということに関心があるので、経済発展の最中でどのように教育が行われているのか、というところを肌で感じたい、というようなニュアンスになります。
毎日の活動
活動内容としては月曜日から金曜日の週5で、朝9時過ぎくらいから学校が始まって12時すぎに授業が終了するので、その中で現地の先生の補佐をしました。
もう少し参加期間が長いと一人で授業したりすることもあるそうですが、そこは多分その時々だと思います。
授業は一日2コマで、お昼ご飯を挟んで午前と午後に1時間の1コマずつ、というスケジュールでした。
時計もなければチャイムも鳴らないので先生の携帯で時間管理をしていました。
年齢別に3クラスに分かれており、それぞれ先生がいらっしゃいました。
カリキュラムも一応決まってはいましたが、私が参加させていただいたときは年度始まり?ということもあって初歩の初歩で、そこまでカリキュラム通りに進むことはあまりありませんでした。
というかそんなにしっかり決まっているわけではなくて、授業時間が始まってから打ち合わせをしたり、急にカリキュラムを変えたりも結構ありました。
授業では教科書などいくつかの教材をみんなで使って音読のようなことをしたり、ノートとペンでアルファベットや数字をなぞって書く練習をしたり、といった内容です。
英語で会話を試みますが、ほぼ通じないので必要な単語は都度先生にマサイ語もしくはスワヒリ語での単語を聞いてそれでなんとかコミュニケーションをとります。
私が特に参加していたのはベビークラスで3歳ぐらいの子どもたちだったので、そもそも椅子に座る、話を聞くというのが難しいというのはありました。
午後の時間なんてお腹が膨れたら何人かは毎回寝ちゃいます。
お昼寝の時間がないからそうだよなー、と思いながらちょこちょこ起こしていました。
あとは基本みんな風邪をひいているので、その関係で熱が出てぐずっている子だったり、何かしらの体調不調がある子をあやしながらの授業展開になります。
たまに他のボランティアが持ってきた教材でカリキュラムが全学年共通で急に変わる、というのもありました。
一回は音楽の授業で、一回は歯ブラシの寄付があったので歯磨きの授業をしました。
遊んでいる時も元気で、走り回ったり、砂で遊んだり。
多くの子どもたちは「てぃちゃぁ(teacher)」と舌ったらずな発音で抱っこをねだってくれます。
基本ずっと誰かを抱っこしたまま移動していた記憶がありますね。
抱っこの順番だったりで割と手も足も出て喧嘩になるので、そこらへんの仲裁もします。
靴のまま木登りの要領で体によじ登られたり、服を引っ張られることも日常なので、洋服選びは気をつけた方が良いかと思います。
普通に首元とかが伸びますし、インナーが見えます。
ちなみに下記がざっくりした1日の学校でのスケジュールです。
Instagram に実際に先生方が授業内での動画などをあげていらっしゃるので、雰囲気はそちらでも掴めるかと思います。(なお年長クラスが多いので、他のベビークラスなどでは雰囲気はまた少々異なる)
【タイムスケジュール】
学校到着:すでに大半の子どもは集合済み。ジープを降りると抱っこして合戦が始まる。
朝の挨拶と歌:決まった2曲を歌う。英語とマサイ語(スワヒリ語?)が混じっている。ダンスが可愛い。みんな歌詞がうろ覚え。
手を洗う:蛇口が一つのため整列必須。ただ一列に並ばせるところも大変。泡立つのが面白いのか、石鹸が大人気。水を蛇口で直に飲みに行こうとするのを阻止することも含まれる。
朝の授業1コマ:その日で決まったカリキュラムを行う、はず。
手を洗う:朝と同じ。手を洗った後に砂遊びを始める場合もある。
昼食:金曜日以外は甘めのドロドロのお粥もどきが大きめのコップ一杯だけ。美味しいらしい。
昼休み:食べ終わった子から遊ぶ。抱っこして合戦再開。体調がすぐれない子は地面で寝だすので注意が必要。
昼の授業1コマ:ベビークラスだとだいたい3人くらいは寝ている。
終わりの挨拶と歌:帰りの歌とダンス。終わると駆け足でみんな家に帰る。たまにお迎えがある。
解散:行きにのってきたジープに乗り込んで帰る。そこからdaladalaに乗り換えて帰宅。
タンザニア生活
いっぱいあるので項目別にしました。
【平日】
(起床と移動)
基本的に平日は朝の7時とかに起きて半過ぎに出発、通勤片道2時間くらいでした。
お昼も帰ってきてからだったので13時とか14時くらいです。移動は同じ時期に同じプログラムと、同じ場所で行われてる別プログラムに参加している別の国からのメンバーがいたので、個人的にはのほほんと移動していました。
常時3人以上だったのですごい安心感です。
多分1人だとは結構心理的にはきつかっただろうな、と感じます。言葉も通じないし(daladalaの添乗員は基本スワヒリ語しか話せない)、なんの表示もないところで乗降車したりするので方向音痴の私は一瞬で迷子になっていたと思います。
Google Mapのピン機能は優秀です。
あとは割と他の移動のtuktukとかの交渉も全部友人任せにしていました。
めっちゃ慣れていて上手だったので……。
ちなみにここの行先交渉でも英語版を使用すれば大抵わかってもらえる点でGoogle Mapは優秀でした。
(夜ご飯と飲酒、就寝)
夜も基本は家で晩御飯を食べていました。
ただ、割と成人メンバーが多かったのもあって結構頻繁に飲みに出ていた記憶はあります。
タンザニアの夜に出かけて酒飲むの?と思いますよね。
私も思いました。
host familyが飲まなかったので家では飲みません。
なお木曜日はsocial dinnerでタンザニアのProject Abroadのメンバー全員でご飯を外食していました。
だいたい飲みに出ない日だと10時とかには寝ていたと思います。飲みに出た日も11時か12時には寝ていたので健康的ですね。
時期もあるかとは思いますし、虫除けスプレーをめっちゃかけていたせいもあるかとは思いますが、2週間滞在して蚊らしきものは夜に1回羽音を聞いたかな?ぐらいです。
マラリアの薬はきちんと飲んでいました。
(朝食、昼食)
ステイ先はもう9年もホストファミリーをしている大ベテランのお家に泊まらせていただいたので、しんどいことはほぼなかったです。
ご飯も、メイン(ほぼ肉)と主食、副菜、フルーツの組み合わせで、自分で好きな量を取るスタイルでした。
お水もウォーターサーバーがあって、水筒に補充もさせてもらえたのでジュースが欲しいとか、出先で水筒の水がなくならない限りはお水は買わなくて良かったのは助かりました。
(シャワー)
与えられた自分の部屋にあるバスルームは機械の調子が悪くて、お湯が使えたのは多分3、4回でした。
直してもらったりはしたんですが、私はまあ、水でも正直そこまで気にならなかったです。
明るいうちに(日が暮れると流石に水は冷たい)パッと汚れたところだけ洗う感じで。
気になるのであれば寝る前に汗拭きシートとかで顔と髪ぐらい拭けばいいかな、と思います。
正直現地はすごい砂埃と排気ガスなので、どう足掻いてもそんなに綺麗にはなりません。
外を30分くらい大通りを歩いて、シートで顔を拭くと黒い砂がつく感じなので。
寝る前に拭いてそこそこ綺麗になればいいや、の精神は大事かなと思います。トイレとバスルームが兼用で、衛生的にも気になるのでビーチサンダルのような水に濡れてもいいサンダルはあって損はないかなと思います。
(トイレ)
トイレも水洗で、トイレットペーパーも出してくれました。
家以外だとホテル以外でそういったトイレがないのはちょっと困りました。
こう、ぼっとんトイレもどきでトイレットペーパーはなく(ようは手がペーパーの代わり)、手を洗う水だけあったりするのでハードル高めです。
最終は水が合わなかったのか、ちょっとお腹を壊していたのでそこはしんどかったです。
お薬たくさん持っていって良かったと思った瞬間でした。
(交友関係)
そのほかで言えば運の良いことに、他のメンバーが地元のダンスチームでダンスをしていた繋がりで、ほぼ毎日、活動終わりにはご飯を食べてから現地の公民館もどきの場所でダンスを習いに行っていました。
ちなみに日本でダンスをやっていた経験とかはないです。
ど素人でしたがそれぞれの進度に合わせて教えてくれます。
現地の友人や他にもボランティア以外できた観光客と仲良くなる機会は個人的にここが一番多かったです。
いまだに数人とはSNSでやり取りをします。
家に帰ってからも復習したりで、ダンスのおかげで同居メンバーと一番仲良くなりました。
同じ時期にはボランティアメンバーがすごく多かったです。
マックスで同じ家にボランティアだけで7人同時滞在でした。
日本人が私を含め3人(春休み期間だったためと予測)、カナダ、デンマーク、ベルギー、スイス、他のステイ先も含める結構な人数+多国籍でした。
年齢層も下は20前後から30代手前までと色々で、学生もいれば社会人もいて話をしていて楽しかったです。
【休日】
休日は旅行に行けたり、ぶらっと観光地にいったりしました。サファリツアーは日本円で5万ぐらいだったので私は断念しました。
二日でサファリ2つとマサイ族の村を回るみたいです。
手配は向こうの人がしてくれるので行く準備とお金(クレジット可能)だけで大丈夫です。
あとは山を越えてコーヒーを作ったり温泉(という名の湧き水の湖っぽいもの、もちろん水着)に行くツアーには参加しました。
更衣室とかいうものがほぼ存在しないので頑張って着替えていました。
水着を持って行っていなくて、友人から借りた1着しか持っていなかったので初日はその洋服そのままで滝に入ったりもしました。
割と日差しが強いのでそこそこ乾きます。
あとは博物館に行ったり、山を登って大きいブランコに乗ったり。
他のプログラムメンバーがいたりすると割と外出します。
一人だとちょっと怖くてできなかったかな、とは思います。
【現地スタッフなど】
とてもよくしていただきました。
土日に到着、とかでなければSIMカードもその日のうちに使えるようになります。
最初の方は英語に耳がついていかなくて申し訳なかったなーと思います。
What’s uppで基本的に困ったことは全て対応してもらえます。
同室メンバーが体調を崩して病院に行ったりもしましたが、そういった相談もできます。
無論英語ですが。
旅行の手配も伝手でしてもらいました。
一つ困ったことで言えばちょっと時間にはルーズかな、と思います。
最終日はお昼の時間が微妙だったので、ホストマザーのご飯を食べてから出発したいなと思って迎えの時間をお願いしたのですが、それより30分早く迎えが来て何も食べないままに出発せざるをえませんでした。
逆に現地の友人とダンスの練習を始める初日は予定時間から全員が揃って始まるまで2時間半ほど待たされる、ということもありました。
良くも悪くも時間には縛られていない生活です。
プログラム参加を通じて学んだこと、成長したと思うこと
教育現場に行き、友人から部族間の考えの違いなども聞いて途上国における教育、というものと、教育環境というものにより一層興味を持ちました。
一番実感したところでいうと、現地の教員たちはあまり一般医療知識に明るくなく、症状を軽視しがちです。
おかげで生徒も熱が多分38度ぐらいあろうが授業に参加しますし、盲腸っぽいな、と思う生徒も特に不調がないからか病院に行くとかはありません。
よほどひどい症状があれば行くようですが、まだまだ衛生水準は改善点がありますし、治療に関してもまちまちです。
意識レベルでの話でもありますが、経済の話でもあります。
話を聞けば、ちょうど乾季の終わりの時期で、貧しい家庭ではpre-schoolで食べるドロドロのお粥だけがその子たちが1日で食べられるご飯、というところもあります。
医者に行くにもお金がない、ということも関わってきています。
ただ、私や他の先進国から来たメンバーの持つ常識が必ずしも正しくて持つべきだというわけでもないです。
もちろん、疾患は直して一定の知識は持つ必要はあると思います。
ただ、そこは現地の人たちの今までの生活や常識と兼ね合いを考えていく必要があります。
教育に関してもです。
事前に授業は作ってくる方がもちろん良いでしょう。
日本の幼稚教育を考えると、ベビークラスには昼寝があった方が良い気もします。
しかし、それも現地の人たちが教育に何を求めているのかによります。
今回は保護者の人たちとは交流ができなかったので、そういった点はまた別の機会に話をしてみたいなと思います。
上記の考えは補強されたところであり、成長した点だと思います。
個人の生活面で言えば、もう少し日常の警戒心は磨いたほうが良いな、と思いました。
一人で渡航してみて、どういったところで自分がどのような立ち振る舞いをするのか、どういったところで危機感が足りないのか(散々プロジェクトメンバーに「日本人はもっと危機感を持たなくちゃ!」と注意されていました)というところを知れたことが成長だったかなと思います。
今回の経験をどう活かしていくか
前述の通り、大学院において開発教育学を行うときに活かしたいと思っています。
その教育が行われているのがどういう環境なのか。
施設や物品、生徒の特性や先生の考えや教え方など、そういった諸々の条件と教育というものの関連を特に調べたいと思っています。
学問以外の面でいけば、こうした環境を変えられるように制度を変えたり、物流に関わることができるような職について、いろんな場所の類似した問題(教育、衛生・医療問題)を解決できるように動きたいなと思います。
いつかタンザニアに帰ろうと思っているので、そのときに現地の友人たちと一緒に何か一つでも状況を変えられたり、その布石になれるように。
知識をできるだけ多くつけたいです。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。