憧れを現実化するために
医学部5年生となり、臨床実習が始まるとともに一年後のマッチングに向けて準備をする中で、自分のキャリアプランや人生について考え直していた。
幼い頃から、自分にしかできない、誰かのためになることをやりたいと強く思っていた。
途上国や紛争地など、医療を必要とする人が多い地域で医師として働くことは、まさに私のやりたいと思えることであった。
COVID-19感染拡大に伴い、グローバル化がより求められると同時に、医療格差を目の当たりにし、恵まれない国と地域でいつか働いてみたいという漠然とした夢が確信に変わっていった。
しかし、実際に途上国へ行ったことはなく、当大学以外で医療に携わった経験もなかった。
COVID-19を受け渡航制限が続くなかではあったが、自分の将来を明確にするためには今しかないと思い、第6波が落ち着いたタイミングで今回参加させて頂いた。
「国際医療ボランティア 学生」と検索しProjects Abroadを知り、すぐ申し込むと決めた。
出発の約2か月前であった。
カンボジアを選んだ理由は、日本が二国間援助を行っており、経済成長率は著しいが、まだまだ途上国である現状や、平均年齢が24歳であるなどポルポト政権という歴史的背景に興味を持ったからである。
医療の現場で感じた言語の壁
新たな挑戦に対する期待と同時に、多くの不安があった。
中でも、英語に対する不安は大きく、リスニング・スピーキングに自信は全くなかった。現地でのコミュニケーションどころか、空港での会話にも自信がなかったほどである。
しかし、今回参加してみて言えることは、笑顔で自信をもって伝えようとすれば、必ずコミュニケーションは取れるということである。
語学留学ではそんなに甘くはないだろうが、ボランティアとして参加しているためか、滞在先の子は皆本当に優しく、現地スタッフも簡単な英語で話してくださるため、会話が全く成り立たず困ったことは一度もなかった。
寧ろ現地の人々との会話では、クメール語が重要であった。
まずは英語だけと思っていたが、現地語を話せると話せないとでは大違いである。
特に、生命に関わる状態を聞く医師として活動をするのであれば、翻訳してくれる人がいたとしても、最低限は現地の言葉を学ぶ必要があると感じた。
様々な文化や価値観を尊重するための多様な言語ではあるが、世界に多くの言語があることに、医療の場では少し疑問を覚えてしまった。
医学は英語同様、世界共通
直前まで医療プログラムと公衆衛生プログラムどちらに申し込むか迷ったが、より実践的な活動をしたいと考え、公衆衛生プログラムを選択した。
公衆衛生プログラムの活動内容は、医師とともにSilk islandやSCC communityなど貧しい地域の自宅を訪問し、問診・バイタルサイン測定を行い、栄養指導などの生活指導に加え、限られた薬剤ではあるが処方を行う。
高血圧、糖尿病などの患者が多いなか、空腹時血糖値600mg/dlを超える患者やチクングニア熱の患者など、日本では見たことがない症例もいた。
印象症例としては、一過性意識消失を主訴とする中年女性。
動悸や脈の不整は感じないとのことだが、少し脈が早い。
軽症高血圧はみられたが、低血糖はなく、その他バイタルに異常は認めない。
視診で甲状腺腫大を認めたため、私はBasedow病だと決めつけてしまった。
一方で、医師がまず患者に質問したことは、頭痛や悪心・嘔吐の有無である。
脳腫瘍など、criticalな疾患をまず否定していた。
日本の実習で習った臨床推論の過程と同じであり、検査機器はないため、より臨床推論能力が求められる。
医学は英語同様に世界共通のものだと改めて実感すると同時に、その面白さを再認識した。
また、その場で出来ることが限られていたとしても、医学的視点から考える姿勢を忘れてはいけないと学んだ。
机上の空論から国際支援へ
現地の学校へ行く活動もあった。
捻挫や頭部外傷などに対するfirst-aidの方法をポスターにまとめて発表し、子どもたちにペアを作ってもらい、患者役と医師役にわかれて練習してもらった。
子どもたちが楽しみながら学んでくれている様子がとても嬉しかった。
こんな小さなことでも、意味があり誰かのためになり、未来を変える可能性があるのだと感じた。
今まで机上の空論だった、国際支援という四文字がかたちとなって表れた瞬間であった。
他にも、幼稚園に行き、園児の口腔内や耳のチェックを行う活動や、重症心身障がい児の施設で拘縮に対するストレッチのお手伝いをさせていただく活動もあった。
多くの子どもたちがひどい虫歯であり、その現状を目の当たりにした。
また、カンボジアには障がい者施設が多くあり、水・空気など衛生環境の未整備、妊婦の正しい知識不足や意識の低さなど途上国の現状を痛感した。
そして、一日だけ医療プログラムにも参加させてもらい、中年女性の骨破壊を伴う脊椎カリエスの手術を見学した。
現地の医師も医学生も大変優しく、拙い英語である私にたくさん話しかけてくださった。
パソコンはなく、患者の情報や麻酔・手術の記録などはすべて手書きであり、CT画像もX線フィルムを光にあてて見ていた。
手術室内の機材は必要最小限で、ガウンや医療器具はすべて洗って使い回しであり、手術室看護師はいなかった。
日本とは異なる点が多かったが、手術時手洗いや医療器具、手術中に音楽を流すことは日本と同じであった。
生活面でのカンボジアという国
活動後や休みの日は、寮のメンバーと観光やショッピングに出かけた。
夕食を食べた後、ナイトマーケットやバー、カジノ、ナイトプールなどへみんなで行ったことも、良い思い出である。
みんなと仲良くなれる機会であると同時に、貧富の差を思い知った。
豪邸やお洒落なレストランのすぐ隣を見ると、裸足の人や裸の子ども、道に山もりのゴミや砂、売れそうにないものを売る屋台など、途上国の現状がそこにはあった。
寮は、停電が毎日のようにおきるが、設備は整っており、毎日三食、現地の方が家庭料理を作ってくれるなど、大変恵まれた日々を過ごすことができたと感謝している。
国際支援の第一歩を踏み出した今
今回参加するにあたり、事前に目標を立てた。
それは、途上国の現状を知り支援について考えることと、自分の将来の道として本当に興味があるかを考えることである。
国際支援は、予想通り簡単なことではない。
改善できる点・変えていかなければいけない点は思いついても、実際にどのように変えていけばよいのか、大それたことではなく今の自分にできることでさえ、答えを出すのは難しかった。
ただ、良くなる状況に期待して現実から目を背けるのではなく、冷静かつ挑戦心をもって現状を分析し、小さなことからでも実行に移すことが重要だと学んだ。
様々な価値観や夢を持つ人と出会え、時に議論することができ、自分の将来を考えるうえで刺激となった。
また、日本に帰国して日本の公衆衛生の良さ、恵まれた生活を再認識した。
恵まれた国に住んでいるからこそ、自分の何気ない日常が世界中の人々の日常になるように、まずは現状を知る必要があると強く思った。
一方で、日本が後進国になる未来はそう遠くない現実がある。
日本から支援するという観点のほかに、途上国の現状を見ておくことは、将来役立つと思う。
海外ボランティアに少しでも興味があるのなら、新しい挑戦をする自分に胸を張って、一歩踏み出してみることをお勧めしたい。
この体験談は、主観に基づいて綴られています。
その時の現地の需要や活動の進捗状況、参加時期、参加期間、天候などによって得られる経験が異なりますので、あらかじめご了承ください。
ご不明な点は、お気軽にお問い合わせください。